我々、旧態依然としたオタクは、新世代のオタク(初音ミクやモンハンを知っている程度の我々からはオタクとは思えない存在)との戦争に敗れた敗残兵だという事実を受け入れなければなりません。他者の趣味への不可侵が我々の鉄の掟ですが、今回ばかりは事情が違います。
圧倒的な増殖力でオタクと一般人の区分を曖昧にし、色濃く一般人の要素を残したオタクが生まれました。それがここ2~3年の出来事です。圧倒的に一般人な新オタクは、旧オタク達の趣味や知識を無視ないし否定しています。大体が古い、(詳しすぎて/上手過ぎて)キモいといったものです。
彼らがオタクを名乗る以上、世間は多数派の「オタクを名乗る何らかの集団」をオタクとして認識するでしょう。そして、彼らの代表者に向けてアクションを起こし始めます。ここで言うアクションというのは各種の規制ですね。しかし、抵抗は極めて散発的なもので、性コンテンツの排除によりオタクは良くなるという論や、ゲームの規制ならOKという排除論が飛び出しております。そういった自分に無関係な部分を捨てることで、オタクへの(換言すれば自分自身、自分だけ)風当たりが弱まると考えているのかもしれません。
強引な例え話をすれば、友人の所有物を許可無く第三者に差し出しているかのような状況です。彼らはその分野、文化に大して携わっていない為に危機感が無い。しかし、オタクを名乗る為に世間は彼らと交渉すれば(交渉と言いますか、押し付けての対決)、問題が解決出来ると考えています。
我々、実質の所有者は蚊帳の外です。はっきりと申し上げまして、
我々は相互不可侵を重んじるあまりに、少し悠長に構えすぎた。
我々は新オタクの繁殖力に敗北したわけです。
そしてまた、世間の規制に抗う術すらない。交渉の席に着いている代理人(新オタク)が向こうの人間に近しい以上、これは出来レースです。競争相手が居ない自作自演のような争い。
私は以前より申し上げてきました。「オタクエリート論」者の危険性と、我々の危機感の無さについて。
現時点で既にオタクを代表して発言する権利は我々にはありません。
古いオタクだった何かの意見として提示する他無い。
今、この時点で団結せずにいつ抗うつもりなのかと問いたいと思います。
マンガ家、ゲームクリエイター、それを消費する人間や、社会科学者、市民科学者…
数の上では大敗を喫しているかもしれませんが、戦う力が無いわけではありません。
宗教的スローガンとして忌避されるかもしれませんが、今こそ団結が必要だと考えます。
何かしら形ある物を産み出さなければ、形ある存在には勝てません。
現時点でゲリラ戦にすらなってない。
生活が掛かっている人も居るでしょう、企業もあるかと思います。
そこまで行かずとも、ライフワークの人間だって居るでしょうし、科学的論拠に乏しい事を見過ごせない「はぐれ者」学者だって居るはずです。キャンペーンなり、同人誌なりで力を合わせるというわけにはいきませんかね?ネットで暴れても、形無き物として処理されるばかりですよ。