何年も前からですが、最近特に気になるのがネット上での放言です。自由に発言する場である事はネット最大の強みですが、勝手につまり、無責任に発言しても良い場ではないだろうと。以前から申し上げていますし、思っております。
ネット離れという現象が起こるのではないか?という予見をされる方が居ます。私もその考え方は実に面白いと思いますし、一歩進めてネットの階層化が起こるように思えております。
このように考えるようになったのは、ネットの普及と、物を述べる才覚が不十分な人間の跋扈です。
様々な意見があるのがネットの良さであって、それは少数派の意見が十分に、対等に取り上げられ、精査されるからこそ価値があったのだと私は考えておりますが、昨今は一般に言うエリートではない人間、弱者の為のネットという側面が強くなり、ネットや情報は弱者を救うのだ、格差社会を救うのだという風潮も相まって、現実社会(ネットも現実ではありますが)のピラミッド構成と同じようなネット利用者の構成が成立してきております。
となると、起こるのがネットの一般化です。ネット上にある情報が今まで以上に薄まり、希薄な物になる。
この文のように、書いてなくても良いような駄文、的外れな知識や考察、誤った情報…と、物を知らん人間達のルールでネットが運営されるようになるでしょう。そうなれば、最初に動くのは古参のネット利用者や、いわゆるエリートと呼ばれる存在。彼らが先ずは逃走します。
結果としてスプロール現象が起こったり、ネット構造の空洞化が進行するかもしれません。
そうなれば困るのは、程度の低い情報を発信する人間と、受け取る程度の低い人間のみが残る。または、程度の低い人間を相手にするエリート(メディアや企業)が現れる。
人類のフロンティアだったネットが、再び社会弱者の「るつぼ」になり、搾取対象となるだけです。
これを防ぐ手立ては恐らくありません。ルールを守り、安心、安全、高品質なネットを作りましょう!
と言った所で、それが理解できていないから現実社会で「程度の低い人間」として扱われるわけですから、そんな事を出来るはずが無い。また、私を含め、ほぼ全ての人間が、程度の高いネットとは何か?を定義付けできていない。
大量に流入する情報難民を教育するのは不可能です。居辛くなったら大暴れして他の世界に流れて行く根無し草、野ヤクザな連中にまともな教育が施せるわけが無い。そこで発案されるのが、ネット免許証です。これも確かに良い考え方ですが、疑問も残ります。国民全員にタグ付けをして書き込みをさせるというのは、確かにクリーンですが、掃き溜めのような環境が好きな人間には受け入れがたいでしょう。
結局、ネットの空洞化が起き、階層化が生じ、エリートだけがどこかに新しいフロンティアを作る。一般人は彼らのコミュニティーに入れず、現実社会と同じような仕打ちを受け、搾取され、程度の低い言論で満足しあうわけです。
これでは格差の打破など不可能。二酸化炭素排出量を規制するなら、ネット環境を守るというサイバー環境保全論とかなんとか言うのが出てきても良いのではないか?
まわりまわって自分達の未来を閉ざす。ポイ捨てがいかに地球を汚すか、皆さんは知っていますでしょう。それと同じで、俺は、私は、暴言や捏造、他者を貶める発言等々を行っても許される。誰も見ちゃいないんだ。誰も自分とは分かるまい…。というポイ捨て気分で使われては困るんです。
耳にタコで鬱陶しいフレーズですが、エコブームに乗っかって、無理やり書いてみましたよ。
サイバー環境保全という話。まんざらギャグでも無いでしょう。
情報強者がトンズラされたら困るのは我々ですよ。