犯罪はどのような原因で起こるのか。それは現代社会の命題でもあります。中には偏った手法で犯罪を研究する科学者も少なからず居り、そのような自称識者の方が分かりやすい(単純な)論を展開するため人気があるものです。
オタク文化が犯罪を起こす。これは、環境犯罪誘因説(強力効果論)です。周りの環境によって犯罪を犯してしまったのだという言い逃れや、メディアの悪者探しに使われる常套手段です。最近で言えば、高専生殺害事件の容疑者である19歳の少年についての報道でも見られます。
スプラッタホラーやレイプもののAVが好きだったとの記述が見られ、それが原因であったと展開して行きたいようだ。
ネットゲームにハマり、エロガッパと呼ばれ・・・とゲームや性癖、小学校時代の悪行を羅列している。新潮と同様の論調。あらゆる属性を付加して犯罪の原因を見出そうとしている。環境犯罪誘引論の塊というよりも、社会病理学の多元因子理論のよう。(これらについては後々解説)
言い逃れの代表としては、「○○を読んで自分もやってみたくなった」とか、「ゲーム感覚だった」といったようなもの。自分の外部の存在が自分を突き動かしてしまったといった論です。犯罪は全て環境に原因があり、その犯罪者の周囲から害悪を取り除けばクリーンな社会がやってくる。と信じている方々が強力効果論支持者です。
実際問題社会から悪の芽を取り除くことは不可能です。しかも、悪の芽・・・すなわち社会病理とは一体何か?という質問に明確に答えられる人は居ません。私を始めとして一部のオタクは、オタクとその文化は社会病理ではありえないとしていますが、世間一般の人間は社会病理であると認識しています。このように曖昧模糊としたものを社会悪(環境)と称して一掃しようとするのは甚だ疑問であります。
これは、社会病理学がアメリカで衰退した点にも見ることが出来ます。1920年ごろから40年代の半ばまでアメリカでは社会病理についての研究が盛んでした。日本では今でも社会病理学が名称などを変えて相当数生き残っているようです。この社会病理学とはその名の通り社会病理についての研究です。しかし、先に挙げました通り、社会病理とは一体何か?という壁にぶち当たることになります。勿論答えられる人はいません。
この社会病理学に壁を設けた、または風穴を開けたもの・・・それが、ライト・ミルズの『社会病理学者の職業的イデオロギー』や、アルバート・K・コーエンの博士論文『青少年犯罪と社会構造』(題名は私による訳)です。簡単に内容を述べますと、
①自分達が暗黙のうちに了解している悪を社会病理と認定しているだけで、科学的根拠に欠けている。
②ムラ社会的保守とも言えるような自分達にとっての理想的な価値観でしかない事。
③病理因子を羅列するだけではその因子と犯罪や逸脱行為との関係性までは証明できない点。
④悪は悪によって生産されるという単純な理論でしかない点。
③と④は分かりにくいと思いますので補足いたします。
③についてですが、例えば、親が犯罪者ということは、(私はそうは思いませんが)世間的には子供が犯罪を引き起こす原因になると考えられています。他にも本人が低収入だとか、低学歴だとかいった病理因子とされるものを一定数以上有していると、ある日堰を切ったように犯罪を犯してしまうというような考え方がありますよね。
これを多元因子理論と呼ぶそうです。再度登場しますが、高専生殺害の被疑者である19歳の少年に関する報道で、バッキーのAVを見ていた(過激な表現のAVメーカー)、小学生の頃からのあだ名はエロガッパだった、室内でボディービルをしていた、オタク文化に触れていた・・・。これら一つ一つが世間にとっては病理因子だと認識されているわけです。
「これだけの因子があるんだし、そりゃあ悪いことするよなあ・・・」
と単純に思ってしまいがちですが、それでは素人批判。妄想の域を出ていません。少なくとも科学的ではない。因子一つ一つが本当に因子たりえるのか?それらがどう絡み合えば犯罪へと繋がるのか。少し考えただけでもこの2点における問題が解決できていません。この2点は非常に根本的な問題です。これも解決できていない以上、犯罪を環境の面から考える学問としては失格です。
④ですが、悪いことは悪いものから出てくるに違いないという決め付けはおかしい。と言っているわけです。オタ文化が一定の経済効果をあげたり、交流を深めたりしているのも、悪(と考えられているもの)から良いものが生まれている証拠でしょう。もっと一般的な事を例にすれば、良かれと思ってやったことが裏目に出たりというような、良い行為から悪が生まれることもあります。犯罪や社会病理はそんな単純ではないということです。
強力効果論は限定効果論という環境ではなく個人の人格や性質によって犯罪が起こるのだ。というヤル奴は何を言ってもヤルんだよ。という理論によって否定されていますが、その理論以前に犯罪心理学や社会病理学の失敗によっても否定されています。文字通りの四面楚歌です。
しかし、環境が全く関係ないと決め付けてしまうのもどうでしょうか。そこに酒が無ければ飲酒運転をしなかったんだ。確かに酒を飲むという環境が無ければそうだったのかもしれません。ですが、貴方はそんなに簡単に酒を諦めることが出来ますか?どうせ他の店で飲んだんじゃないですか?他の店にまで行って飲んだとしたら、それはもう環境というより個人の問題でしょう。
やっぱり環境犯罪誘引説(強力効果論)は四面楚歌のようです。