オタク論とか言っての日記更新第2弾。
今回はオタクによる隔壁問題ですね。
なんじゃそりゃ?とお思いの方が多いでしょう。それは追い追い。これは多くのオタがやってる事ですので人事ではないかもしれません。
背が低い人は背の高い人の身長を上手く言い当てる事が出来ないようです。逆に背の高い人は、自分の体のパーツや感覚でどの辺りが何センチなのか把握しているので、言い当てるのがそう難くないとか。
この前フリを消化するのは次の文によります。
能力の低い人間が、能力の高い人間を評価するのは難しいが、その逆は簡単である。
故事成語でいくなら、『燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや』といったところでしょうか。
ともすれば人間は他人を見下したくなる生き物です。根拠の有る無しに関係なく。自分より能力に欠ける人間を見下すのは簡単です。そしてそれは一定程度肯定すべきでしょう。能力の足りないものは見下されても仕方が無い。(こう言うと、いじめ奨励だ!とか噛み付く人が居ますが、奨励なんてしてません。別問題です)
問題になるのは、自分より能力の高い人間を見下す時ですね。
皆さんも経験がおありかと存じ上げます。身近なところでいけば、勉強のできる人間をガリ勉と言って蔑むってところでしょうか。 能力で勝てない事から目を逸らし、相手に欠点を埋め込む事で勝者になろうとする心理構造ですね。
「俺野球好きなんだよ!」
なんて言ってる友人に、鴨志田トレードだってね。とか、桑田はマダックスを目標にメジャーへ行くんだって。なんて言ったらば最後。「野球マニア」というレッテルを貼られてしまいます。 自分より野球に詳しい人間を、「野球マニア」と指定して欠点を付与、しかる後に自分の方がそこまで必死ではないから健常者であり偉いのだと考えるわけです。
オタクの世界で見てみると、にちゃんねらーに向けての攻撃がそれに当たりますかね。
「2chとかやってるなんて廃人だな」
確かに廃人も居るでしょう。しかし、往々にして彼らは私のようなライトユーザーに毛が生えたようなオタからは考えられないほどの知識を有しています。これを能力として認識するならば、私は大きく水をあけられているわけです。
だからと言って、私はその敗北から目を逸らす事はしません。多元化した能力社会に生きているわけですから、全てを受け入れていこうと考えています。また、そうしないと、全ての能力が否定される事になります。
「学問なんてやって何になんの?」
「歌が上手くても意味なくね?」などなど。
同じ手法であらゆる能力が否定されてしまいます。バカげた思考の代表例ですね。『攻撃がそっくりそのまま自分に当てはまる』パターンです。無意味な議論を呼ぶだけですね。
他に格ゲーを熱く語る人に投げかけられるテンプレとして、
「ゲームのシステム論を語っちゃってるよ。恥ずかしい奴w」
自分よりゲームが上手い人に対してのテンプレは、
「ゲームなんかに必死になって何になるの?」
自分もゲームをするクセして、自分が負けたとなると、
「俺、そんな必死になってないし。マジでやってるなんてサムくね?」
みたいな事をヌかすわけですね。私はコレをやる人間が大嫌いです。やってる本人は気付きません。私も気付いてないのかもしれませんが。一回同じ方法で否定してやらないと辛さは分からないんでしょうかね?
声優に関する知識豊富な声オタに、
「声優追っかけても結婚とか出来ないんだし意味なくね?」
エロゲーやってる人間に
「二次元なんて実際に抱けないんだから意味なくね?」
こう言ってやれば、彼らも分かるんでしょうか。
手前勝手な隔壁作りにいそしむ人間は基本的に自己中の短絡志向人間と考えられますから、言ったら言ったでキレるんでしょうね。手に負えませんw
こうやって自分で隔壁を作り、自身の精神の均衡を保つ。個人的にそう思うのは勝手ですが、口をついて出てくると問題です。戒めとしてまた一つ肝に銘じなければ。