タイトルどおりの使い古された(私にとって)オタク論のリバイバルです。最近の動静を見て思う事とからめての駄文となっております。
「一般人が設定するオタク像と、オタクが設定するオタク像に差異があるんだ」なんだかんだと昔言いましたけど、あれはやっぱり間違いではない。 一般人…オタクは常識の欠片もない人間(キモイ) 我々…マンガやアニメが好き 我々は趣味に対して包括的にオタクという括りを使うのに対し、一般人はキモイ、常識がない、犯罪者というイメージで使う。だから、マンガとか好きだし俺はオタクだよ?と言っても信じてもらえないし、信じてもらえても普通の付き合いをしていける。 それは、常識あるオタだから。人間として見所があれば一般人だって邪険に扱ったりしない。クラスにいたでしょう?勉強は出来るけど無口なタイプの人間。しかし、一目置かれてる。そんな人。勉強が出来ても明るい人間はガリ勉だなんだと陰口も言われないし、やっぱり個人の性格や行動に依拠する部分は大きい。 何度も言いますが、常識あるオタクとないオタクが居る。オタクを選んだ前者と、オタクにしかなれなかった後者では雲泥の差が出るのも当然のこと。ポテンシャルの問題があるわけですから。 我々オタクはオタク同士でコミュニティーを形成する際においては、オタクであるという事を強く認識し、主張していくべきでしょう。しかし、一般人と交流する際は意固地にならずに外交手腕を発揮すべきです。 外交手腕とは、一般人の中で生きる方法を見つけながら相手にもオタクと生きる事を求めていく妥協点の探りあいの事です。きっと常識あるオタ…といいますか、一般人とも付き合っているオタは自然と相手がオタか一般人かで切り替えて生きているんでしょうが、生来それが出来ないタイプのオタは相手に変革を一方的に求めてしまう。 私はオタクよ折れてしまえ。と言っているのではなく、オタ以外は悪だと信じる事をやめてくれ。と言っているのです。髪が茶色いだけで、体格が良いだけでDQNと言われる。私なんか元体育会系ですから、すぐに頭の悪い粗暴な人間だと決め付けられる。 そういった偏見の塊であり続けて疑心暗鬼にかかり、内向的に憎悪を燃やす事はいかがなものだろうかと。自分たち以外は悪、異端と認識する行為は一般人のレッテル貼りとなんら変わらない。オタクナショナリズムとでも言いましょうか、最近その強まり方が悪い方向へ向いそうなので腐心しているわけです。 私ごときが腐心したところで何も変わりませんし、大きなお世話なのかもしれませんが、これ以上オタクの攻撃的思想が高まるようなら、私はオタクである事を初対面で明かす事をやめようと思います。 原理主義的思想は往々にして過ちを犯す。 これだけは分かって欲しいものです。 |