この記事限らずですが、全ての人に当てはまる社会科学の法則はそうはないでしょう。いわゆる「萌え」すでに陳腐になってしまいましたが、この「萌え」に性的な欲望を含めている人と、完全に清らかな心でしか見ていない人が居るように。
今回は、萌えには性的な部分があるという課程で進めさせていただきます。
ちなみに、私は萌えは性的な競争に負けた人間が最後に辿り着く場所、つまり、負け組が致し方なく萌えで我慢しているという考え方には反対です。
全てのオタが負け組で、代替として萌えているなんてありえないでしょう。
この考え方は森永卓郎氏が著書「萌え経済学」で性の代替物と位置づけております。また、本田透氏は女が怖いから2次元に居るようですので、森永氏の考えに準ずるものと考えています。
とはいえ、一般人にはオタの遠吠えか内輪モメにしか見えないんでしょうけども。
さて、オタクは性的異常者だそうですね。どう異常なのか?と聞けば
「それはアニメとかを見ているから」などと返答される事が安易に予想できますし、事実そういった報道が成されてますし、民意もそうです。
しかし、アニメが好きである事と、現実の幼女が好きである事は完全に別問題ですよね。野球が好きな人は全員巨人ファンである。くらい無理がある。
オタクが犯罪をしているというデータは無いわけですし。もし、その幼女誘拐犯がオタクだったとしてもオタクで現実の幼女が好きな人間。というだけです。
オタクという集団に居て、そっちの気もあったといだけ。にも関わらず、オタクは誘拐犯である。というような要素を同一視してしまうのには大きな問題がある。
これは、東京都内で殺人事件が起これば、都民はみんな殺人犯という考え方と同じでしょう。特定集団に完全に殺人犯という要素をダブらせている。これでは間違いが生まれるのも当然です。
しかし、現実問題、刑務所に居る人間は全員犯罪を犯したと考えてしまう。人間は思い込む生き物ですからね。オタクが犯罪を犯したと聞けば、オタクは犯罪者と輪を広げて考えてしまう。これが現在の歪みを生んでいる。
で、萌えが好きな人間は犯罪者とされていますが、今のように萌えが少なかった時代はどうかといいますと、これは相関関係であって、因果は証明されていませんが、今より犯罪が多かった。
これは、性欲を持て余した男が婦女暴行を働く事件が非常に多かったということかもしれません。性にあぶれた人間はいつの時代も一定数居ますから、現在強姦が少なくなったのは何かしらの外的要因があると考えるのが妥当でしょう。
その要因の一つが現実を追うよりも2次元の方が良い。という考え方(正の代替)や森永氏の考えのような(負の代替)である可能性があります。また、主に世の一般人男性がお世話になるAVなどもそうでしょうね。
萌えやアダルト産業は死んでしまえ!と言う人が多いですけども、男の性欲はどこかで処理せねばならず(我慢できる人も多いですが)、そういった捌け口を片付けるのであればそれ相応の準備が必要かと思われます。
こんな事を書けばまたフェミニストの皆さんに怒られますが、いつの時代も性欲保存されるので、萌え、アダルト産業を廃止するなら、世の女性はそれなりに覚悟してくださいね。という事を申し上げておきたいと思います。
少年犯罪に限っても、30年前は強姦が今のおよそ倍以上。30年前はコンテンツが充実していませんでしたのでコンテンツと強姦の相関関係がありそうです。
ビデオが普及したのもAV、パソコンが普及したのも一説ではエロと言いますし、性欲処理のコンテンツを規制することの危険性は認識していただきたいものです。
性的なコンテンツに触れて犯罪を犯す人間と、満足して犯罪をしなくて済む人間。どちらが多いのかを考えないで規制論議を行うのはバカバカしいです。
目の前の犯罪を規制する為に、その背後にある多くの犯罪予備軍を社会に向けて行進させるようなマネはしてはならない。被害者の事を思うのであれば、先の事も考えなければいけないでしょう。