ネットは人をバカにするか?ネットをし過ぎればバカになりますが、小説を読もうが仕事をしようが、それだけをし過ぎるとバカになります。少なくとも勉強バカ以外は学校成績は上がりません。学校成績が至上ではないといいながらも、ネットをやると学校成績が・・・とかいう時代。なんでもありなんですよね。きっと。
「ネットは利用してはいけない」「ネットを利用するとバカになる」
このようなセリフが書かれていれば、すぐさま飛びつくのが私です。
後藤氏的な表現でいけば、「俗流若者論者」がただタレ流してるだけならいつもの事かで済む。正しくは済まさないんですが、その辺はもう逐一潰していく体制が構築されてきているので、今回は取り上げません。取り上げてたら本題に入る前に書き飽きてしまうので。
『創』の2月号に第4回オタク論!(p.150-155)というコーナーがございます。
岡田氏と唐沢氏の対談が行われているのですが、これについて少々。
副題として「ババンババンバンバン♪ネットするなよ!(前)」となっているので来月にも続くのでしょうが、この記事の内容がどうも解せない。といいますのも、ネット上で的外れ(?)な非難を受けた事に対する私怨を綴っているようにしか見えないからです。
・ブログの書き手はネットニュースを疑わない
・本人にソースを確認しに来ない
・批判された側に反証責任があると思ってる
などと、一部の人間を捕まえて全てとする我田引水的な論を展開しています。
確かに、祭りを楽しむ為だけにありもしない情報を元に晒し者にしようとする人間も居るでしょうが、だからと言ってネットを使うとバカになるなどと言いだすのかがさっぱりわからない。気に入らない事は無視して、批判はするが叩き返された時の反証はしないという態度もおかしい。誠実さを欠いている。その全てに対応しろとは言いませんが、明らかに間違った事を言ったのなら速やかに訂正すべきではないのか。
自分の発言に対して直接メール等での問い合わせが無いからと言って、果たして自分は正しいと言い切れるのか。それこそネットの弊害。思考停止。ネットを使ってバカになってる好例だと私は思いますね。ネットが無い時代にメールで問い合わせなんてしてたのか。嫌いな奴にわざわざ世話を焼いてくれる人間がどれだけ居るか。
捨てアド取得なぞ簡単な時代となりましたが、それでも個人情報に違いありませんし、わざわざ「何言ってんだコイツ」と思ってる人間にメール(お手紙)を書いて出してくれる人なんてよっぽどです。私も「死ね」などのメールを受け取る事がありますが、わざわざ書いて送るなんて余程気に入らなかったのかな?くらいは思うようにしています。ネットが便利だからといって、手紙の敷居が下がったからといって、人が手間を惜しむ事にはなんら変わらない。受け取り手が人間である事も変わらないんです。 ネット=非現実 と捉えがちですがね。
また、彼らは
・ネットはもはや最先端ではない
・情報的肥満
・ネットといじめは似ている
という発言もしています。ネットが最先端でない理由として挙げているのが、ブロガーよりも通販を利用する人が増えているから、ネット(ブログ)は価値がないというようなものです(意訳)
注:そんなソースは私自身見た事がありません
また、引用になりますが
>岡田 ブログを読んだり書いたり、そういう欲望が人間にはあるんだけれど、それはどんどんケータイの方に移ってる。
という発言もされています。googleが携帯用のシステムを構築し出した事をこの発言の根拠にされていますが、全くもってナンセンスです。究極的な情報端末と言ったら何でしょうか?近未来SFなんかでよく見る小さな情報端末ではありませんか?
人類の産業化以降の命題として、いかに小さくして便利にするかというものがあったはず。真空管を使った演算機からデスクトップ、ノートという流れ、それが携帯端末へと流れるのは当然。パソコンのネットと、携帯のネットが完全に別世界と捉えている事も間違いです。断続的な知識の空間に少しずつ皆が変化を与え合っているだけであり、そのアクセス方法が小型化しているに過ぎない。
携帯端末が高性能化して皆がそちらを使い始めている(?)から、パソコンのネット文化はもう最先端ではなく遅れ始めてしまった存在だというのは事実を誤認しているとしか思えません。
情報的肥満というのは、ネットの情報は早い・安い・怪しいだとして、ジャンクフードに例え、このジャンクフードを食べ過ぎると肥満になると言っているわけです。ネットのせいで誰もが最新情報を集めないと気がすまない情報的肥満ウンヌンという講釈があるのですが、ここでは割愛します。新しい事を求める、知識の最先端、そこまでいけないなら情報の最先端を求める事に一体何の問題があるのでしょうか?
年を取り、鈍化した味覚や嗅覚、感性でしか物事を見えなくなった人間が、自分のペースで歩いていたのでは世の中に置いていかれる。このままでは自分の評価が危うい!となった時に使う合理化や退行だとしか思えません。サブカルチャーを論じるのであれば、今を知らなければいけない。30年前の文化など、既に若者文化ではない。よく見てください。今、特撮を必死で追いかけてる人たちの年齢を。40代じゃないですか?世辞にも若いとは言えませんね?私は最近ファーストガンダムさえサブカルチャーとしては古いと考えているほどなんです。79年放送の作品なんですから。
その時代を知っている方を批判しているわけではなく、その時代の感性のまま現代にタイムトラベルしてきたような視点で現在のサブカルチャーを見る事が出来るわけがないと言っているんです。古くからオタクをやってるのが偉いなら、麻生議員にお願いしますよ。
話が脱線し始めたので元に戻して次の項目へ。ネットは異空間だと考えるその思考がそもそも間違いで、ネットというものを擬人化しているに過ぎない。ネットというのは網です。網の1本1本は糸です。糸を解して誰か分からない人や、知っている人と「おはなし」しているだけなんです。
ネットという新しい存在に漠然とした不安感や嫌悪感を付加して、疑心暗鬼に陥っているに過ぎない。まるで並みの人間では太刀打ちできない姿無き大魔王と戦っているかのような。一体誰と皆は戦っているんでしょうか。送り手は人です。受け手も人です。
一対一の食事の場があるとしましょう。酒も入り、互いに饒舌に語り合う。その会話を仲介しているのは空気ですね?空気が二人の間を取り持っているだけ。離れた家族と定期連絡をとる。あなたは受話器を手にします。家族との間を仲介しているのは電話線です。携帯なら電波です。では、ネットなら?
ネットだけ、誰ともつかぬ悪者があなたと相手の間に割って入ってるんですか?
ネットは相手の顔が見えない。なるほど。その通りですが、手紙も電話も同じです。
雑誌の文通欄ってのをご存知ありませんか?ペンフレンド募集。なんてかわいい時代があったでしょう?相手の顔など知らずとも、連絡を取り合ってたじゃないですか。
ネットには悪意がある。なるほど。全く持ってその通りです。ネット上で一方的ないじめが起こる事もままあります。しかし、それはネットを介さない世界でもあり得る事でしょう?ネットに書くか、陰口を言うかの差です。ネットに書いてしまえば名誉毀損もありえるんですから、ネットだからと言って野放図なわけではありませんよ。また、いたずら電話なんてものもありますしね。
世のサブカル学者と私と同じ小市民の皆さんにもう一度お願いしたい。
ネットをよく見てください。好き嫌いせず、真剣にネットを見てあげてください。
そこには実社会と同じ人と人の営みが見えてくるはずです。邂逅し、時に衝突し、団結していくその様は人間そのものです。何度も繰り返しますが、人間同士が全てのやりとりをしている以上、それは人の活動以上でも以下でもありません。決して恐怖の大魔王でも、マッドサイエンティストが発明したバカ量産期でもないのです。ハサミとナントカとネットは使いようです。食べず嫌いでネットを批判する人間に便乗しないよう、お気をつけ下さい。