小学生はポケモンを遊び、中高生はモンハンを遊び、大学生はポケモンを遊ぶ。と言えば通じていましたが、今はどうだろうか。大学生もモンハンを遊びという状況だろうか。GBでポケモンをやっていた世代はDSで出戻るという現象も起きているようですが。
年齢が上がれば、当然ゲームについても詳しくなり、簡単なゲームを好まなくなる。
というのが定説でした。しかし、それは遊ぶべきゲームが常時同じ品質であり続けるのが前提です。年を重ねる過程でゲームソフトの品質や種類、難易度、流行に左右されれば、ゲームを見極める能力などは身に付かず、選択肢の幅が狭まれば盲目的に同じような内容のゲームソフトを買い続け、それに疑いを持たなくなります。結果、特定の思想に染まり、それ以外は全て駆逐すべきという風潮が特定の世代間に蔓延する。
代表的な物が、ポケモン・モンハン論争です。
ポケモンはご存知「ポケットモンスター」で、モンハンとは「モンスターハンター」という第三者視点アクションを基軸にした狩猟・採集ゲームです。前者は主に小学生に人気があり、後者は中高生に人気があるタイトルです。
DSでポケモンシリーズが出る以前は、「ポケモンを遊ぶ人間はガキ」という考え方で良かった。
しかし、現在はGB時代にポケモンを遊んだ世代がDSの普及の波と共に出戻り、20代でもポケモンを遊んでいる人間が少なくない上に、最近では親子でポケモンを遊ぶという家庭もあると聞いて居ります。十数年前に蒔かれたポケモンの種が大人の世界に芽吹いたわけです。
これに対してモンハンは、メインターゲットである中高生が成長し、現在は大学生くらいになっています。結果として、(ポケモンに対して)モンハンは大人の遊ぶゲームという彼らの宗教的な部分が大人社会に進出してきた。
結果、ポケモンとモンハンが今までの小競り合いと違い、激しくぶつかる事となったわけです。
この争いで着目すべきは、単純にゲーム内容についての衝突ではなく、ポケモン世代(いわゆるゲーム世代)とモンハン世代(新世代)という世代間の衝突にすり替わっているという事です。※ここで言うポケモン、モンハン世代はどちらも20才前後及び20代を取り上げています。ロー~ミドルティーンは対象としていません。
ポケモン世代は様々なゲーム機を買い、ハードメーカーに翻弄され、ゲームソフトメーカーに翻弄された過去があり、ゲームについて一定程度詳しい。これに対し、モンハン世代は物心ついた頃からPSという圧倒的にシェアを獲得したハードが存在し、PS、PS2と買っていけばよかった。また、最も新しい世代では、初めて買ったゲーム機がPS2という人間も少なからず存在する。単一ゲーム機と、成熟した市場、公式化されたナンバリングタイトルで遊んだ世代と言い換える事が出来る。
この2種類の土壌で形成される文化、ゲーム観とでも言いましょうか、そういった部分は当然異なる。互いに理解出来ない部分を持っている。特に問題視すべきは、一方が詳しく、もう一方は無知であるという点です。詳しい方は無知を見下し、無知であるが故に自身の問題点に気付かない。これがポケモン・モンハン論争の根底にある。物を知らん方がおかしかろう?と言ってしまえばそれまでですが、そんな一言で片付けられる物ではありません。宗教と同じで、無宗教の日本人には決して理解出来ない「何か」で結束し、彼らはぶつかりあうわけです。
その「何か」が、「ガキ」かどうかなのです。
結局は、ゲームの力を借りて個人の優劣を決めようとしているわけです。
【ポケモン世代の意見】
・モンハンは戦略性が足りない
・ゲームとしての完成度が低い(バランスを考えてない)
・操作性に問題がある(カメラワークに代表される)
【モンハン世代の意見】
・爽快感が無い
・ポケモンはややこしい
・絵が汚い(ドット絵はポリゴンに比べて劣る)
・モンハンの方が戦略性がある
・皆で楽しめる
主にこういった論点で争うわけですが、残念ながらモンハン世代は何度も申し上げた通り、ゲームについて詳しくないが為に、彼らがモンハンの強みと言う部分は全て「お前モンハンしか知らないだろう」で片付けられてしまう。となると、手足をもがれてしまうので最後の抵抗として、
・ポケモンはガキのやるもの
が登場するわけです。ここから派生して、「ポケモンはキモオタのやるもの」だとか、「モンハン以外をやっている奴はゲームキチガイ(で自分は正常)」だとか論拠の無い人格攻撃に移る。片方がどうしようもない無知である場合、なまじ知識や良識があるばかりに負け戦となる場合が多い。妄信する狂信者には絶対勝てませんので。特定のゲームソフトしか遊ばなければ、モンハン世代は確実に勝利を手にする事が出来るという矛盾がある。
また、モンハンは皆で遊べるから面白いと言う指摘であるが、なるほどそうだと私は思う。ただし、モンハンに限らず皆で遊べば何でも面白いという風に言い換えてくれるならば、であるが。モンハン世代はマリオカートなどを酷く毛嫌いするようで、「皆で遊べる」という主張はモンハンを援護するための詭弁でしかない。
私が今回このような問題を取り上げたのは、ゲーム業界にそろそろ決断して貰いたいと考えているからである。決断すべきは、モンハン世代に新しいゲームの世界を見せるのか、トリカゴの中で飼い殺すのかという決断である。
新しい世界を教えなければ、なるほど彼らは成長しない。良く似たマイナーチェンジとも言うべきタイトルを与えてやれば嬉々として購入するだろう。そのビジネスモデルで10年戦った結果が、ポケモン世代とモンハン世代などというゲーマーの分断を生んだ。格闘が流行れば格闘ばかり、萌えが流行れば萌えばかり。そうやって同じ柳の下で何匹ドジョウを掬ってきたか分からないくらいマンネリ化と先鋭化が進んだ結果が今の状態だ。
愚者を家禽のように育てるというのは、確かに良いビジネスモデルだ。ゲーマー農場こそゲームメーカーにとって最高の環境かもしれない。しかし、それでは飽きられる。成熟した市場、システムの破棄がなければこの先は生き残れない。海外メーカーは既に新たなステップに進んだ。このゲーマーの2分割は後々まで尾を引きかねない。マーケティングを更に難しくしてしまったかもしれない。
ゲーマーと一般人という線引きがどれほど無意味で無価値か。これから痛感するだろう。マリオを、ポケモンを遊ぶ奴はガキ、無能なパンピー。彼らにマリオを売ることは至難の技だ。パイを大きく取って大作を売り込むことが既にゲーマー相手には不可能な状況を作ってしまった責任は、これからの世代が負わねばならない。
今こそ決断すべきだろう。農場の埒を打ち壊し、ゲームのパイを大きく焼き上