例えば、ファーストガンダムの事を今の若いオタクに話すのは流石にキツい。じゃあ、「ガンダム好きです」という子にはどうか。それでもキツいかもしれないが、ガンダム好きと言う以上、知っていて欲しい所だろう。今のオタクは、物を知らない事をニーズの多様化、属性の差異などで逃げ、詳しい人間をバカにしたり、古いものに対する敬意を持たないようですね。
流石に驚くが、今の若い世代にはそれが常識なんだそうだ。
いきなり何に対してのたとえ話かも分からない始まり方ですが、近年のゲーム開発者や若いオタクを自称する連中にアンケートを取った場合の結果だそうです。過去の有名な作品やゲーム機すら知らないとのこと。
彼らの好むゲームは、「テイルズ」「ペルソナ」「MGS」「無双」「モンハン」です。
ただし、好きなゲームではなく、これしかやった事がないんです。
2世代前のゲームを知らず、持っているハードは2ないし3。PS2とPSPってんですから。(PS3も持っていない!)初めて買ったゲームハードはPS2というのが基本で、この発言をする連中はほぼ100%ゲームを知らない。知らないのに、ゲームを作ろうだとか、オタクだとか言う。四則の計算しか出来ないのに東大に受かろうとしている世界と言いましょうか、なんとも凄惨な有様。
・鳥山明を知らない自称マンガ好き
→好きなマンガは「らき☆すた」「ハルヒちゃん」
・赤塚不二雄や手塚治虫を知らないないし読んだことがない
・ジャンプを読むのはガキ(ワンピースを読んだことがない)
こんなのがゴロゴロ居る。彼らは誇らしげにこう言うんです。
「古い作品なんか見たところで何の意味があるんですか?興味が湧かない」
古典を知らずに何がオタクだ。ゲーム開発者だ。
日本の歴史を知らない日本史研究家が大成すると思うか?
今のオタクないし開発者の凋落はここにあります。
自分がバカだという事を誰も教えてくれない。昔は皆、能動的に学んで居たが、今は口を開けていればボタモチが降って来ると思っている受動的なオタクが激増した。ニーズの多様化などと言う隠れ蓑で、彼らに向かって「物を知らなすぎる」という批判も行われなくなった。
私が大学に入った時などは、あまりの先輩方の知識の豊富さに頭を2、3度殴られたような気分だった。必死に『オタクの勉強』をしたもんだ。あまり言いたくはないが、「最近のオタクは学ばなくなった」と言っていい。私の経験上ではそうでした。それが許されている現状のせいでもある。
オタクという前、マニア、ビョーキと言われた頃はストイックな部分があったように思う。誰よりも詳しくなりたい、上手くなりたいという求道者としての側面があったのではないか。少なくとも私の知っている先輩方は、技量がどうとかいう事を除けば、極めて求道的でストイックで、楽しんでいた。
徹底的にのめり込む姿勢、豊富な知識は本当に感服した物だが、今のオタクにはそれが全く感じられない。オタクとしての知性が欠落したから、彼らと話していても全く楽しくない。新鮮味がないというか、暖簾に腕押しだからだろう。
「○○は知ってる?」
「知りません」
「○○はやらないの?」
「つまんないんで帰っていいっすか?」
こんな事がよくあるそうで、まあ、何と言うか、現代っ子だなあと。
現代っ子という表現は適切ではないかもしれませんね。正しくは、旧帝大の時代の大学生と、今の大学生というのが最も適しているかもしれません。トチ狂ってんじゃねーか?くらいのエリートと、大衆教育が普及してから入ってきた一般人。同じ学位を持っていても、その価値、本人の知識量は雲泥。
オタクということで、「一般人とは違うんだよ」という選民意識を持ち、示さんとするわけですが、その結果出てくる答えがマリオと言わずにテイルズ、ポケモンと言わずにモンハン、ジャンプと言わずにらき☆すた。
なんですよね。マイナー作品を搾り出してこの程度なんです。物を知らないので、彼らの中では最大級の「俺って通な作品を知ってるだろ?」なんでしょう。そういう空気がよく出ています。声優の話をしていて、「林原」を知りませんもの。彼らの最大限努力して出てくる人名が「豊口めぐみ」です。これでも大した物で、「平野」「釘宮」しか出ないのが普通。それで声オタって。「丹下」とか言えよ。
彼らに、それとなく知識を入れようと思っても無駄なんですよね。数年前の作品などは既に古く、「懐古厨ウゼェwww」の一言で片付けられる。彼らが知っているのは2005年以降の作品がせいぜいで、その殆どが知識とも呼べないような知識。
何をすればいいか分からない、何も出来ないからオタクをやってるクチ。
そんな掃き溜めですからねえ。人間としてどうかという輩も多く、発想は貧困そのもの。オカシイ輩は昔からオタクの世界には相当数居たが、今のはオタクとしても中途半端という状態。お先真っ暗だ。今の40、50のクリエイター達がポツポツと消えて行ったら、あらかた終了かもしれませんね。日本のオタクも。
【まとめ】
酷い言い方をすれば、残飯しか食べた事がなければ残飯がこの世で一番旨いと思う。
そういうことです。
前にも言いましたが、世の中のコンテンツの1%も遊べていない自分がゲームだのマンガだのをゴチャゴチャ言う事すらはばかられる。そう私は考えているのですが、彼らは平気。それを見ているとイライラしちゃうんですよね。数万分の1本、2本しか知らないのに、一番面白いゲームは○○です!とか断言するのを見ると。
【mixi日記から転載するに当たっての追記部】
特に感じるのが、人と付き合いたいのに人に合わせないオタクの増加。
人様が自分に合わせてくれるものだと思って近寄ってきて、合わせないとキレるわけです。
自分の立ち位置が分かってない。自分が物を知らない事を知らないのは、
単純に友達が居なかったからだろう。友達が居ないオタクというのがにわかに信じられない。
自分はオタク友達など大学に入るまで居なかったが、友達は居たわけで。
そういった人間と付き合う事をしてこなかったんだろうか。
だからこその偏りなのではないか。
他にも、ゲームに対する根性が無くなった。2、3度負けただけで泣いてみたり(不甲斐無くて泣くというより、私に対する殺意とかそういう感情の高ぶり)、簡単に心が折れたり、頭をリセットしたりする。ちょっとやってみて勝てなければ、「このゲームおもんないっすね!」とか。ビックリするタイプのオタクは昔から居るものの、根性無しオタクが市民権を得て這い出てきたから、さあ大変。なんですね。
ダメなオタクってのが世の中にはウジャウジャ居ますから、そういうのはそういうので固まってますね。で、そういう劣化文化を醸造し