事件を食い物にする姿勢がどうにも気に入らない。
善意や歴史、資料的価値を考えて語り継ごうという姿勢は全く問題ない。評価すべきだし、支援すべき。しかし、その周辺、事件や事故の被害者周辺がそれをネタにしてメシを食ってやろうという姿勢が気に入らない。
広島、長崎の原爆、戦争での体験、脱線事故等々大事件、大事故。
今回の秋葉原の歩行者天国再開に向けてというものも。
当然、残さねばなら無いものだし、支援も必要だろう。
被害者の中には命を失った人から職を失った人、トラウマを負った人まで居る。
それらの人間を上手く使って、善意のフリをしながら金を儲けようとしている連中、生きていて恥かしくないのか。自分もあの場を見た人間。(刺されたどうのこうのの状況は見ていないが、騒ぎと血だまりは見た)町内会費を納める文字通りの住人であり、広い意味では被害者であると言えるかもしれない。
とした場合、あれは被害者感情を逆なでしてはいまいか。自分はそう感じる。
秋葉原事件だけではなく、その他にも幾らでも事件は起きている。
模倣犯として八王子の書店で刺殺された方も居たはずだし、他にも仙台のアーケードに突っ込んだという事件が1、2度あった。あそこまで大きな事件ではないにせよ、事件は幾つも起きている。そちらも同様に扱ってしかるべきではないのか?
そういった事件は金になりそうにないから見てみぬふりをしているのでは?
秋葉原の歩行者天国が復活すれば、マスコミとしては面白いメシのタネをまた楽して仕入れられるかもしれない。秋葉原を盛り上げていくことが、これからは自分のメシのタネになる。
今まで報道してこなかったのは、メシのタネにならないからだけではなく、かつてのように面白おかしく報道することで、荼毘にふしている方々への配慮を欠いた行動だと言われ、要らぬ反感を買わないようにしていただけではなかろうか。秋葉原を煽ったばかりに大量に人間が流入し、そこにあの事件が起こった。「人が沢山居るから」という犯行理由は、マスコミに矛先が向く可能性を孕んでいた。そこで、一切の報道にその臭いを廃した可能性は捨てきれない。
私は既に簡単なレポート(『歩行者天国と地域研究~歩行者天国が内包する文化と諸問題~.pdf』)で歩行者天国の管理について提言させて頂いたが、歩行者天国の管理は難しい。そう簡単に安全確保など出来やしない。マスコミは、今回の歩行者天国再開に向けて気運を高めようとする商店街を隠れ蓑に、「安全管理の責任をどうやら商店街がおうようだ。だったら堂々と盛り上げにかかってやろう」と思っているのではないかと勘繰ってしまう。同様の事件が起きた場合、今度は安全管理を怠った商店街と警察を叩けば自分達には被害は来ないだろうから、これ幸いとネタにしようとしている。
「苦無」を販売して捕まったという人物について一番丁寧に報道したのはNHKで、民報各局はほぼ無視だった。NHKでは銃刀法が秋葉原の連続殺傷事件で改正された為に捕まった旨も伝えたが、民報各局は小さい事だからか扱わなかった。
伝えたのは、秋葉原で来月にも歩行者天国が再開されるという事くらいで、マスコミに責任があるかもしれないという要素は一切見せない鉄壁ぶり。どこもかしこも諸手を挙げて歩行者天国再開を喜んでいるのは個人的には違和感しか覚えない。マスコミお得意の悲観的責任論はどうした。誰が責任とるんだ!的な。
誰かの撒いた善意のタネを、小汚いメシのタネに変える便乗行動は辞めてくれ。
カメラを通したあらゆる人間が、醜悪な精神の塊のように思えてしまう。