携帯電話に登録されている友達の数が多いほど偉いという価値観が今の若者に蔓延している・・・とか。法政大学の恥なので、O木教育評論家大先生はテレビに出ないで下さい。本当に邪魔です。他の教授の迷惑です。あんなのばかりだと思われる。
NHKの番組か何かでそのような特集をすると小耳に挟みました。
そりゃそういう価値観もあるでしょう。顔が広い=偉いという。
それが携帯という単語と絡んだ途端に現代の若者の病理に化ける。恥かしいと思わないか。
評論家然とした大人達は、自分がいかに小猿のような脳なのか示したいドMなのか。
今の若者全てがこの価値観で生きているかのような針小棒大っぷりも酷い。
イタメシ屋でアルデンテのパスタを食べてBMWでドライブ!的価値観ですね。ごく一部が実践している何かを捕まえて、知らないのを良い事に今の時代はこんなのです!とやらかす。それで連中の自尊心を満たすわけですか。
私は地理の教員免許を取ろうとしていた時期があったのですが、法政大学の教育論者にO氏が居る事を知り、その著作を幾つも読み、恥かしくて教員にはなれないと感じた事から断念した過去があります。あんな本を教科書にされている子供達が可哀想ですらある。印税収入で儲けてるとかかねぇ。子供達の選択肢の無さを良い事に。氏に限らずあれはいけないビジネスモデルですね。
中には本当に良い本を毎年色々と調べて、用意してくる教授も居ますし、オリジナルのサマリーを自作し、印刷して配る人も居ます。そんな教授はやっぱり凄い。研究者と教育者を見事に両立する天才です。
今の教育者はダメだ!子供がダメだ!と言う前に、教師を教育する「教師の教師」がどうしようもないと感じ、こんな場で学んだ人間が未来の日本を背負う、前途洋々たる子供達を教えるなんてとんでもない。身を引くことが懸命だ。そう感じた次第です。
【大学の名誉の為に】
大学の名誉の為に言っておきますが、私は今でも法政大学の教授の質は国内随一だと信じています。あそこまで自由な発想と研究を許す、一流の教授が居て学閥支配も無い大学は他に無いのではないか。
自由闊達で天衣無縫な自由な精神で研究に励みたい。名誉や金ではなく、社会的に価値がある、そう信じた自分の道を究めたい。また、求められれば子供達に残したい。そういう信念のもとで教授をされている方が多数在籍しております。かなり厳しい基準で卒論を地理学科では課すのですが、そこには研究者養成機関という「就職専門学校」としての大学とは違う信念があるからだと聞いております。
あれだけ大きい大学ですから、どうしようもない人は居ます。
ですが、そんな人ばかりではありません。ちゃんと教授を研究すれば、これほど良い自由な大学も珍しい。きっと満足いただけると思います。
まあ、妙な事を言ってメディアに出て良い気になっちゃう人=大した事の無い人ですからね。
一般人が理解出来る=一般人でも言える です。
難解な事を分かりやすく、最高学府で過不足なく伝えるのが教授です。
テレビで流れる数分のインタビュー、ワンフレーズで済むような簡単な事は、無価値で危険です。