出版業界はそっこらじゅうに面白いのが居る。出版社同士は確かに敵ということになるけど、編集者は敵でも何でも無い。結局のところ出版社も敵同士じゃない。じゃあ、誰が敵かって言えば、やっぱり読者になるのかな。業界人はしょっちゅう流れるから、そこかしこに知人が出来る。どこもかしこもナアナアというか、ゆるい連帯感があるというか、リアルツイッターというかね。
自分の文章は不気味な小気味よさがあるって言われたけど、改めて見て分かった。
こういう文章は普通の人には書けないってさ。
その分、自分にはまともな文章が書けない。
世間一般に通用しない文章は、出版の世界でしか輝かないけどね。
良かろうが悪かろう、が目につく文章ってものが書けないと出版は厳しいと思う。
作家でも編集でも変わらず。
何十年も出版の世界をのたくってる人間には分かるらしい。
400字詰め原稿用紙2枚で、その人間が編集(作家)になれるか分かるという。
たった2枚で人を惚れさせられるかどうかなんだそうだ。
出版社に入るなら、編集者がそういう面接なんかの人事をするだろうから、編集者が惚れる文章を書けって事。本の波に溺れ、スレッカラシな編集者に惚れられる文なんて並大抵では書けない。
何も「私が凄いんだぞ」って言いたいわけじゃなくて。
就職活動のセオリーに則って、やれセミナーだ、インターンだ、SPIだ、資格だ…とぶちかまし、ビジネス書を読みあさって「コマッシャクレ」た知識で武装するくらいなら、常時抜き身のキレた人間で居た方が良い。
そもそも編集の世界で上のようなことをしないといけない人間は殆ど居ない。
「ソンナコト、デキテトウゼンデショウ?」
って目で見られて終わっちゃう。対策じゃなくて、自分の人生の一部、それも大学入学後に鍛えるとかじゃなくって、生まれてこの方の生き様で示す部分があってね。付け焼き刃やメッキなんてものはすぐに剥がれる。評価を下げるくらいなら、最初からやらない方が良い。
連中、凄まじいんだぜ。いっとくけど、同じ人間と思わない方が良い。
あいつらは超人。1200万パワークラスの。サイヤ人でもいいや。
自分の人生観の中で考え得る最高の人間像がベースになってくる。
そんな連中と日々切った張ったするんだから。新人も直ぐにその世界の住人になる。
ジェロニモな自分もそのうち超人心臓を手に入れるのさ。
前にも書いたけど、本が好きなんて考えじゃあ駄目。
本のことを考えるだけで収まらなくなるほど興奮しないと。
読むのが好きじゃ駄目。買うのが好きじゃないと。
中身に関係なく、装丁なんてどうでも良くて、本であることが何よりも重要で、本となら寝られないといけない。集書家だとか蔵書家だとかそういう具合の人間よりの「変質者」じゃないと。
編集者って言う変質者からすれば、
「面白い本が好きなんて当たり前のことを言うな」
ってこと。そんなの、識字能力があれば誰でもだろうが。という話になる。
もちろん、作家や内容、装丁を偏愛するのは当然。ただ、本であること、それだけで興奮できないと編集者はやっていけない。高給取りだとか、格好いいとか、そんなのではとても無理。
『編集者か死か』
パブリッシャー(エディター)オアダーイかな。
ほら、編集者と変質者って似てるでしょ。そういうことだよ。たぶん。