実は私、書評が大嫌いなんですよね。知らんがな!でしょうが。
何が嫌いかって、誉めてるフリをして去り際にネコのすなかけみたいに後ろ足でクサしてみたり、主観でボロクソに言ったり。というのはまあ、仕方ないと思うんです。私もやりますから。ですが、そんな書評を読んで「これは悪書だから買うのをやめよう!」とか思っちゃうが人が出てくるのが嫌いなんですね。
有名人が書いた書評は信じられる?そんな馬鹿な。個々人で能力、主義や趣向は違いますし、それだけじゃなく本に求めている物も違うはずです。料理のレシピが欲しい人が料理の本を買って、料理家の先生の半生を綴った内容だったらどうか。「自慢ばかりで最低の本でした」にならないか。でも、料理家の先生の人生録が欲しい人なら当然絶賛するわけでしょう?
人間それぞれにあらゆる状況があり、あらゆる環境が良好で、気力も充実している状態で読む本と、心配事や上司の叱責を受けた後に読む本では中身が違わないか。夏の天気の良い日に読む本と、冬の曇天の下で読む本は違わないか。あなたの座っている椅子と机、飲んでいるものがジュースなのかコーヒーなのか、着ているものがスーツなのか寝巻きなのか…。
書評を読んで本をどうこうするということ自体がどうしようもない。
というわけでして、書評は本の紹介、宣伝としか受け止めないで欲しい。
自分の知らない本が出版されたそうな。その本の名前は――?
そんなもんでいいと思います。書評家、批評家だとか言っている連中は世間を知らない視野のせまーい人です。本の作り方どころか読み方すら分かってないと思っていいでしょう。色々な人の存在を許容できない偏屈の価値観に左右されるほどつまらない事はありません。
もちろん、私にも左右されてはいけません。最後は自分で決めてくださいということですね。
私はむしろ「この本は酷い!!」っていうヤツを喜んで買い集めます。
何がどう酷いのか、酷いのは書評を書いてるヤツじゃないか?
などと妄想を膨らませてワクワクしてしまうんです。
悪書と良著だなんて二元論は本を知らない人の言い分です。
良い本って何?というだけでも、既に示したように人それぞれに数多あるわけです。
内容が総じて高度ならばいい本なの?沢山売れたほうがいいの?
というのもそうですね。
良いかどうかは自分で決めて、自分の中だけでおさめておくのが良さそうです。
私は露出狂ですから発信しますが、本のタイトルだけ見て判断して下さい。
内容については気にしないほうがいい。私と全く同じ価値観の方なら参考にするのも可能でしょうが・・・。もしくは、私と価値観が合わないからこそ私を否定するために本を買うというのであればいいですね。
以上が私の書評のスタンスですから、批評部はあんまりあてにしないことです。
繰り返しますが、タイトルの宣伝だと思って下さい。
あのサイトで書かれていた本は本当にダメなんだろうか?と思って手に取る。
実はそれこそが最大の成功でもあるわけです。
書評は本を買わせないためにあるのではなく、買わせるために書くべき。
もちろん、提灯記事を書き散らすようなヤツは物書きの風上にも置けませんが。
今回は書評への付き合い方なんかを書いてみました。