アキバ系雑談

【#002】『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル著/岩波書店)

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弓術とはなんだろうか。と考える。弓術とは、聞き慣れている「気がする」だけではないか。
つまり、我々がよく知っているものは「弓道」ではないか。
武術と武道 で考えてみると、武術とは敵を打ち殺すための技術を磨くものであり、
武道となれば、その技の技術と共に伝統文化、歴史の継承と、
「己の在り方」 を追求するものとなる。
剣道と剣術ではどうか。竹刀と真剣の差となる。


弓術という以上、弓で矢を射て敵を倒すための技量を高めるものであるはずだ。
弓道ではおそらくありえないであろう、弓での攻撃 もあるのだとか。
(和弓のどこで戦うのだろう)
道という考え方は、日本人には馴染み深いが、西洋人には理解しにくいのだろう。
武術に道という考え方を付随させてしまうからこそ難しいのかもしれない。
茶道はあるが、茶術は聞いたことがない。華道はあるが、華術は聞いたことがない。
術というものは、スキルやテクノロジーであって、日本人はこれを「小手先」と呼んであざける。
真に必要なものは、己の人間性を高め、何らかの心理を見いだすこと。
「悟り」に至ることであり、その方法が幾つもあるのだ。
「悟りへ至る道」のひとつが武道であり、華道であり、茶道であるだけのことで、
悟りというゴールの存在を理解していなければ、ただただ行き当たりばったりの苦行が続くばかりである。
著者はこの「悟りへの道」という存在が理解できておらず、そのために的に矢を当てる技術ばかりを磨こうとする。矢に当てるということは、どこまで追求したところで「弓術」でしかなく、悟りへの道、弓道を往かない。辿り着こうはずもない無駄な努力だとということを、著者は最後まで気付かなかったのではないか。本書の名前が「日本の弓術」となってしまっているのは、翻訳の関係か歴史背景か、著者の配慮かは分かりかねるが、著者が道という考え方を十分に理解したとは思えない。

座禅の修行というものがあるが、 あれは無の境地にならねばならないという大変な修行である。
人間が生きている以上、無の状態になることはありえない。
あるお坊さん曰く、本当の無にはなれないから、無になる努力をする。
無になろう、無になろうと一生懸命になること自体、既に無ではないのだが、この一見矛盾をはらんだ
西洋的に無駄な努力が 、己の精神を育むのだという。心を落ち着け、平静を保ち、無を望んでひたすらに耐える。周囲一切の影響を遮断し、一点に集中する力は間違いなく養われるだろう。
結局、悟りとはこういうことではないのか。
技術は数をこなせば会得できる。しかし、精神的な成長は年齢や経験の数だけでは磨かれない。
人間的な成長を遂げれば、弓術のみならず、私生活や仕事といった部分でも当然何らかの変化が起こる。
日本人特有の「精神論」とは、死生観や尊厳を打ち捨てて気合いで乗り越えるものではなく、人間性が変われば、あらゆる事象に対して今まで以上に力を発揮することができる。だとすれば、ひとつひとつの技術を磨くよりもはるかに効率的に己の能力を鍛えることができるのではなかろうか。真の合理性は、真の(西洋的価値感での)無駄から 生じるのかもしれない。

西洋人が日本の宗教観や社会を不気味なもの、未成熟なものと思っているのであれば、それは「小手先」でしかないからなのではなかろうか。この本から日本人の合理性の可能性を考えてみたくなった。

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