無料(FREE)で人(オタク)は増長する。とでも読んでください。ちょっと気取った
タイトルになっています。今回は、フリーライダーなんて言葉で語られることもある、
対価を支払わない人や行動についてのお話です。
何でも無料であることが当たり前になりました。私も便利に使わせていただいてお
ります。本当にこんなに便利で無料でいいのかと悩むことしきりです。こういって
おけば良識人に見えますでしょうか。実際は2日に1度くらいしか思いません。
さて、ネットまわりで色々とやってきて思うことは、オタクは金を出さないという
こと。お金を出しているのはオタク趣味だけの人間ではなく、マンガやアニメ「も」
見る人、金を出して趣味を楽しむのが当然だと思っている人でした。オタク趣味な
ら無条件に誰でもお金を出すというわけではないようです。
お金を出さなくてはできないものに価値を見出さず、そういった趣味、遊びを否定
することで、いかに自分が清廉であるかを示しているつもりのようです。それらは、
趣味の範囲を超えて、マイカー批判、マイホーム批判、学歴批判(大学に行くのは
金の無駄)といった部分にまで浸食しはじめました。プア充という言葉もあるよう
です。できあがった背景は存じませんが。
無料のネット情報は信じ、有料のメディア情報は信じないようになりました。無料
だからこそ、広告収入で儲けなくてはいけないので、更に即物的な拝金主義に走り、
汚い金の稼ぎ方をしているところが検索上位に躍り出るのが常態化してきているの
に、です。
稼がないから使わない。使う奴は悪だ。稼ぐ奴は極刑だ。無料で最高のサービスを
提供しろ。それが人の在り方だ。と彼らはふるまいますが、物やサービスを買う際、
お金を支払うのは、富を産み出したことへの対価を提供するためです。誰かが富を
産み出し、それに対してお金を支払う。お金を受け取った人は、また別の人が産み
出した富に対しお金を支払う。ということは、富は増える一方ですから、それだけ
世間が豊かになるのだし、まことに結構な話ではないのでしょうか。
一部のオタクが金汚い奴らだと批判する相手は、人間という動物が行うべき使命を
果たしているだけなのです。便利な物を作ったり、おもしろい作品を書いたりする
のは、人類の発展、進化に寄与しているといえます。社畜などと呼ばれ、嘲笑の対
象になっている人々でさえ、日々の雑務の中で何らかの富を産み出し、世の中に貢
献しているのです。それらを行わず、傍観者としてタダ乗りしているだけの人間こ
そ、本当の意味での反社会的存在なのではないかと思えて仕方がないのです。
無理に払えとはいいません。そんな無駄なことはありません。しかし、払わないこ
とや、富を産み出す行為、社会の発展に寄与する行為などを否定することが正しい
と思い込むことだけはやめて欲しいと思うわけです。そこは袋小路です。社会も困
りますが、何よりあなた自身の人生が行き詰まりますよ。