二次元(ゲームやアニメのキャラ)に裏切られる?
世の中にはさまざまなコンテンツがあふれ、細分化されてきましたよね。アダルトな世界は顕著で、ひと昔前なら口に出すこともはばかられるようなもの、NTRとかそういったものも一般的になってきました。性的コンテンツに限らず、各プレイヤーや読者にあわせたぴったりの存在というものが出てきたことは、よろこばしいことでもあり、同時に恐ろしいことでもあると思います。
なぜ恐ろしいのかといえば、あまりに自分にぴったりで、不可分な存在にもかかわらず、そのキャラクターがあなたを裏切るリスクがあるためです。まさか、と思われるかもしれませんが。
前時代的なキャラ
前時代的なキャラといえば、最大公約数的なものでした。学園のアイドル、根暗、スポーツ少女(少年)そんな極めて限られた属性で、最大公約数の集合体としていくつか存在しているのみ。本当に愛している人もいたでしょうが、どこかつくりもので空々しく、本物ではないような気もしていたはずです。
それが細分化の時代が訪れ、ツンデレですとか、ヤンデレですとか、いろんな性格や背景が付され、あなただけのアイドルが生まれてきました。こうなると、自分が考える最強のアイドルが出てくる人も必然的に増え、依存率は高まっていったと考えられます。
多様化、細分化された結果起こる二次元の裏切り
そうやって自分に足りないピースのようなアイドルが現れ、そこに傾倒していくことになるのですが、企業や作者もブランディングの一環として、またさらなる細分化でキャラクターに新たな魅力を付加しようと属性の追加を行う場合があるわけです。
たとえば、アイドルのオフショット。三次元でもそうですが、意外な一面を見せてみたり、普段はこんなことをしているというプライベートを覗き見させることでファンをさらにトリコにしようとする。そんななか、細分化として「実は邪教にハマっていた」だとか「男がいた」といった突飛なものも登場します。また、「友達がいないキャラ」としていたのに、キャラクターが成長するなかで心を開き、友達が増えていくといったものもあります。私が見ている限り、異性がいただとか、政治的、宗教的感覚がそぐわないというものより、ずっとこちらの方が危険です。キャラの成長を描くのはいいのですが、こういった不遇、薄幸、根暗なキャラを応援するのは、やはり根暗な人であったりして(一方的な)共依存になるわけです。なのに、作中のキャラは成長して、自分の方を振り向きもせずどこかへ行こうとする。そうしてユーザー側が到底、許されるべきではないと思うのではないでしょうか。
二次元に裏切られて精神的に追い詰められるわけ
「二次元のキャラが気に入らないのとくっついて、許せない」だとか「男の影を匂わせる」「自分以外の女を1番の友達だといいはじめる(女性が女性キャラを推しているときなど)」に対して「三次元の方が裏切る確率が高いのだから」という指摘の無意味さというか、ズレ感。
むしろ、裏切らないという前提に立っているからこそキツいのではないか。無駄だと知りつつ二次元に金を突っ込んで、それで裏切られない安心も買っているのではないかと思うわけです。自嘲気味に自分は一体、なにをしてるんだろうと感じながらも課金したりするんです。私はゲーム代としてしか課金したことがないのであまりよくわからない感情ですが、もしも自分が愛情や友情が欲しくて課金するなら、きっとそうなるんじゃないかと思います。
となれば、それはそれは煮えたぎる感情のやりようがなくなるんじゃないかなとも。アイドルをプロデュースしたりとか、その辺の事情に詳しくないので、あさっての方向の指摘かもしれませんが、リアルより手の出しようがないぶん、感情の爆発というか、混乱は激しいように思います。ましてや、許せなくなった存在が今日も明日も元気に集金し、メディアに出て自分の視界に入ってくるんですから。三次元の異性や友人なら見ないと決めればそれで済みますが、秋葉原駅なんかに行けば広告がデカデカと載っている、アニメのパート間のCMに流れてくるといった形で自分の人生にちょくちょく乱入されたら、気が気でないかもしれません。
二次元に興味のない方も、この部分を理解いただければ、「二次元ごときで」と軽々にいえない理由がおわかりになろうかと存じます。
これから、ますます増えるのではないかと危惧する次第です。
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