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福島の放射能汚染を科学的に否定すれば、消費者は県産品を買うのか?

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福島県産品への風評被害を防げ!と声高に叫んでいる人たちがいますよね。彼らは「福島は危ない」という宗教と同様に「福島は危なくない」という思想に凝り固まり、相手を数字や議論でねじ伏せようとします。そんな姿を見るたびに、一般消費者というものが何もわかってないなと思うわけです。

科学的に正しいことが消費者的に正しいとは限らない

科学というのは、人類が編み出したもっとも正しいであろう方法ではあるのですが、だからといって科学的であればすべての人間が理解し、認めるものでもありません。そういった迷信を信じがちな人々をつかまえて、バカだ、マヌケだといえば消費者が態度を軟化させると思っているなら、考え違いも甚だしいでしょう。彼ら(科学者や調査する機関、人間)がやっているのは「科学」の暴力でしかなくって、福島は危ない、近づいてはいけないと信じて疑わない「心情」の暴力に突き動かされている人たちと大差ないんです。そこに気づかないと、自己満足で終わりますし、一般消費者は行動を変えません。自分たちが正しい知識を流布することで変えていると「思っているだけ」で、実際は風化して消費者が「そろそろ買ってもいいかな」と思いはじめているだけだったりするのです。

 

ですからどんなに検査をし、安全だと発表したって、実際に食べる人が自分で検査し、納得しているわけではない以上は不正や隠れたリスクがあるんじゃないかと疑いますし、うるさく叫べば叫ぶほど胡散臭さを感じてしまうのです。仮に自分で放射性物質の検査できるキットを消費者に配ったとしても、その検査機器や放射能の基準値がどういうものなのか完全に把握できていないのであれば、消費者のなかの疑いのタネは消えません。安全宣言や見学などを通して一時的に水面下へ追いやれたとしても、食品売り場で「福島産」と書いてあれば「他のにしようかな」と、またぞろ弱気や疑念が芽を出します。

 

それでなくてはならない理由をつくる

そもそも、大多数の人たちにとって福島はそんなに大切ではないということがいえると思うのです。とても厳しい話になりますが、こういった思想は日本(に限らず世界中であるのかもしれません)でよく目にします。平たくいえば「わざわざケチのついたものを買う理由がない」というものです。

 

例えば、この国では新卒がとても大切にされます。それはもう、異常なまでに。離婚経験者より未婚の方がいいと考えます。条件がよくても事故物件は買い手がつきませんし、大学を25才で出てきた人と、22才で出てきた人がいたなら、同じ新卒でも就職戦線での扱いは違ってきます。彼は家庭の事情で学業が十分にできなかった、幼少期日本国外で育ったためハンデがあった、病気で高校を出られず大卒まで時間がかかった……色々な背景があって25才になったのかもしれません。でも、選ばれません。25才まで苦労したかいあって、22才の子よりずっと精神的、知識的に成長していたとしても、選ばれないでしょう。なぜか?誰もが、わざわざケチのついたものは欲しくないからです。見てくれは悪くとも栄養が豊富で美味しいトマトより、青いうちにもいでしまい、流通過程で赤くなっただけの綺麗な未熟トマトの方が好まれる。それが人間だということです。ここを理解しないで科学的事実をいくら積み上げて、「なぜ理解しないんだ」「お前たちはバカなんじゃないか」と大学教授が吠え立てたとしても、消費者は福島の品を買うことはないのです。むしろ、ますますケチがついたと思って離れて行くことでしょう。

 

福島の発展に寄与しようと思うなら、「極端に振れた」いずれの思想にも染まらず、市井の一市民のなかで行える草の根的な活動、心情を理解した行動で示し続けることが最も効果的だと私は確信します。大新聞の記事をボコボコに叩いてツイートしたり、おかしなことをいっている輩のフェイスブックに集団で襲いかかったりするのではなく、です。(私自身、放射能関連で意味不明、無根拠なデマを流すこと自体は許せないという立場ですが、平常を取り戻したことをアピールすることのほうが、烈火のごとく暴れ怒鳴り込むよりも消費者ウケはいいのです)

 

また、ケチのついたものを買わせる力を生むことが大切です。少し前の話題に戻りますが、福島県の品でなければならない積極的理由がないと書きましたね。スポーツ選手やバンドマンが不倫や麻薬に手を出しても比較的叩かれることはないのはなぜかを考えればわかります。叩く人の多くは彼らのことがそもそもどうでもいい人で、彼らがどんな醜聞を垂れ流そうとも許す人たちは、彼らは替えが効かないと思っている人たちだったりします。ケチがつこうがなんだろうが、それ(彼)じゃないといけないんだ、と思わせる積極的な強み、価値を付加していくほかにこの問題の発展的な解消法はないように思います。このときもネガティブイメージは微塵も感じさせてはいけません。「この地域の農産物はもう安心です」ですとか、「風評被害でまったく売れなくなりましたが、こんな商品を出せるまでになりました」などといったものすらいけない。というのも、これらはすべて消費者批判として受け取られるからです。ケチのついたものを買わなかった消費者は、自分の選択を正しいと潜在的に思っているものです。表立って発言したり、認識してはいませんが、こういったネガティブトリガーを引くような文言を売り文句にしているところの多いこと、多いこと。それを見た一般消費者はどこかで「自分のことを否定された」と感じます。当然、自分を悪くいうような商品は売れません。そういう事情を見て応援してくれる人もいる!と反論もありましょうが、それはその人の中にネガティブトリガーがない場合です。特段ストーリーを語らずとも、私の経験上、「おいしいトマトです」と書いて目立たせておけば買ってくれる人たちです。いま売りたいのは、そういう層ではないでしょう?

 

ポジティブな思想、ストーリーのなかで価値ある品を出していく。これに尽きます。下手に原発事故で壊滅したがどうのこうのですとか、放射能の専門家なんかが出てきて安全宣言する方が「一般消費者」には敬遠される。そういうもんです。

 

新聞の調査で都民はもう半数が福島の品を危険だと思っていないという記事が出ました。よろこんでいる人もいましたが、その調査で「福島のものなんて買いません」と「いえない人」こそ、これから売っていきたい一般消費者のはずです。勘違いしちゃいけません。意識調査にウソをつくのが一般消費者です。わざわざ積極的にリスクを取りたくないのですから。福島なんて!といって、なにかされたら困るでしょう。女性の権利を守れ!と叫んでいる団体のアンケートに、女は男の奴隷であるべき!と書く人はまずもっていません。

 

わざわざリスクを取らない人々の心を知れ。これからの福島を思えばこその提言です。

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