ゲームやマンガ、ネットといったいわゆるインドア派の趣味。これらは脚光を浴びて間もない事も手伝ってか、言われない批判を受けていますよね。学術的、統計的に証明しきれていないにも関わらず、ここまで叩かれる。
しかし、それに対して我々オタクも一方的にありえない。と述べるに留まり、誤解は解けず、平行線を辿っているのが現状です。そろそろ感情的ないがみ合いや論戦はやめるべきなのかもしれません。
と、言いますのも、現状を見るにつけ、オタクが少数派である事。オタクというだけあって、社交的ではなく、誤解している人間へのアクションが足りない事。
この点などに於いて、一般人の論理をただ跳ね返すだけでは消耗戦となり、圧倒的に不利なんですよね。そこで、そろそろ方向性をもって動かないと変わらない気がするんですよ。
自分自身オタクですから分かりますが、別に一般人に理解して貰おうとは思ってませんし、出来ることなら事勿れ主義を貫きたいと思います。それに、多数派相手に変に抵抗して、オタ文化の終焉を早めるかも知れないリスクを考えると動きたくはないです。
ですが、今のところジリ貧だとは思いませんか?そろそろ何かしらの動きが無いと一方的に押し切られてしまうのではないかと私は感じています。押し切られても脱オタ出来る人間は問題ないでしょうが、そうも行かない人も多い。そこで、どうにか延命処置でも構わないので、オタ文化の存続に向けての動きが必要だと考えます。
新しい文化は叩かれます。叩かれすぎて絶滅したものもあるでしょう。しかし、一定期間を過ぎれば認知され、市民権を得る可能性もあります。
今までは、表舞台にオタクは出てこなかった。そのため批判も少なかった。しかし、昨今表舞台に引きずり出されて以来の風当たりは相当のモノです。今までと同じように内向的なだけでは対応しきれない状況になってしまった以上、それに順応して動くしかないでしょう。
それはこのような投書であるかもしれませんし、その他の手段かもしれません。
ゲームと犯罪は完全に無関係と私は信じたい。しかし、「完全」に無関係である可能性があれば、関係がある可能性もある。両方とも確固たる証拠が無い以上、そう言われても仕方がありません。
更に、我々は研究を行っていない。信憑性に欠く数値でも、相手にはそういった資料がある。しかし、我々にはそういった数値や資料が非常に限られています。
つまり、哀しいかな我々は感情でものを言っているようにしか見られない。
そこで新たな戦略として、今後は相手を迎え入れての論戦に持ち込んではどうでしょうか?といいますのも、頭ごなしに相手の研究を否定すれば相手もこちらを頭ごなしに否定してきます。こちらが簡単に出来る戦法は同様に相手にも簡単に出来てしまう。
ですから、今後は一度引いてから押し返しましょう。
例えば、ゲームやマンガに取り付かれて人を殺す人間が居るかもしれない。しかし、その論理では映画や音楽、学問に取り付かれて人を殺す人間が居るかもしれない。この論理でゲームを規制するのであれば、同様にあらゆる娯楽を規制しなければならない。
というように。この論法は使い古された感がありますが、こう言われると相手も反論しにくい。このオウム返しのような戦法を受けて、相手が感情的になればしめたものです。そこに綻びが生じるかもしれません。
ゲームは無関係。オタクは無関係。というだけでは、ゲームは悪。オタクは犯罪者予備軍。と言っている人間と同じです。そんな低いクオリティーの人間と同様に扱われるのは嫌じゃないですかw
相手を認めるのは嫌だ。というのは分かりますが、そろそろ上手に折衝するしかないかな。と思う次第です。
いつまでも平行線でも困るしなぁ…って方は是非ワンクリを~。
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