第二弾というよりオマケです。今のシステム批判の部分が含まれておりますので、有名大学の大先生方は読まない方がいいでしょう。まあ、こんな辺境ブログを読むわけ無いですが。
さて、トンデモ学者が生き延びる理由は学者を生み出すシステムにあったりなかったり。
学者には広辞苑によると規制は無いようなので、私は学問をしてます。といえば誰でもなれるようですが、その先。教授にはなかなかなれない。正攻法(?)でいけば、大学院へ進学し、指導にあたる教授に気に入られなければならない。
そうそう沢山教授は要らないので、教授本人が寵愛する人間のみが教授になれるんです。で、教授に気に入られるには、手足となって働き、自分で書いた論文も大先生との連名にし、教授の研究を褒め称え、その研究を受け継ぐ・・・などが必要となります。
私のような揚げ足取り大好き人間は決してなれない。(才能が無いので院に行けないですが)
例え揚げ足取りが好きでも、学会や論文集や学会誌に論文を載せるなどの作業をするには権威が必要になりますので、教授に頭が上がらない。
で、そのうち大先生(トンデモ学者)のマインドコントロールに遭い、同じような考えになってしまう。研究を受け継ぐんですからマインドコントロールも何も、自然とそうなるんですけども。それで古い体質や手法も一緒に引き継いでしまうんですよね。
新たな学説を批判するのは、それより大きな力か、血気盛んな若者の仕事ですが、若者には事実上発言権が無いです。ここでいう若者とは、若い研究者(院生など)
何やら権威も新学説の批判に乗り気じゃないようなので(最近脳学会が動き始めたようですが)トンデモ全盛時代ですよね。
と、ここまでは愚痴で、本題。特定の考えに固執するとどうしてもその考えを証明したくなるもの。あらゆる本や記事で指摘されていますが、自分の都合のいいデータだけでもって論文を書けば、見た目上証明できてしまう。
これは社会学や人文関係の学問では良くあることです。1+1=2のような完全に決まった法則があるわkではないので。
トンデモ学者は私の知っている限り、大学教授です。トンデモ学者は特定の考えに固執しています。ですから、力技で証明にかかる。大学生、院生は指摘できない。権威もほったらかし。するとどんどん加速してトンデモ理論が完成してしまう。
彼らがこの理論にたどり着くまでには多くの場合、
「相関と因果の変換」があると私は考えます。相関と因果の変換とは、以前にも同様のことを書きましたが、ある別々の事象が同時期に変化する事によって無関係な事象同士があたかも関連しているかのように錯覚してしまう現象です。
相関とは同時に変化する事。因果は原因と結果。因果関係があるということは、Aという原因でBという事が起きるということです。このAB間には深い関係があり、理由もある。しかし、相関関係ではそうではない。
一緒に変化するだけであって原因と結果との関係がはっきりとはしていない。つまり、死者の増加と死亡率には一定の因果関係があるが、出生率の低下と学力低下は相関関係であって因果関係ではない。ということです。
この相関関係を脳内で因果関係に変換すると、たちまちトンデモが完成します。
オタクの増加と凶悪犯罪の増加なんてのは最たるものです。
オタクが増えたのと凶悪犯罪は同時期に変化しているので相関関係があるかもしれないし、ないかもしれない。加えて、凶悪犯罪が増加しているかどうかも疑わしい。
完全な捏造理論なんです。でも、因果関係があると脳内変換していますから、もうどうにもとまらない。どうにかしてこの脳内変換を止めないと、トンデモはいつまでも沸いてきます。
ちなみにトンデモは悪ではないです。トンデモが間違いとして否定される課程に進化があるんですから。しかし、自分の名誉や利権を守るためにトンデモを守ろうとするのはいかがなものか。間違いは素直に認めるべきだと私は感じますけども。
・・・相関と因果に注目して学説を読むと面白いかもしれませんね。
脳内変換はやばいってって方は是非ワンクリを~。
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