我々は、あまりにも無関心すぎやしないか。表現規制、人権擁護とあらゆる難問が押し寄せるオタクの世界にありながら、汗を流すのはほんの一握りです。そして今回の事件。我々オタク全員が「他人事」として捨て置くことの出来ない事件だと思います。明日はわが身と考える方も居られるでしょう。被害に遭うか遭わせてしまうのか。罪を犯さないのであれば、それを証明しなければならない。証明責任はきっと我々にあると、私は考えています。
先ず、この度の事件でお怪我をなされた方、命を落とす結果となってしまった方々のご冥福を祈りたいと思います。献花台が設置されましたので、生花店を探すか、無ければ飲み物だけでも供えさせていただこうかと思います。私は秋葉原に住んでいるというだけで関係者ではありませんが、ご迷惑でなければ。また、ご遺族の皆様にはかける言葉も浮かびませんが、気持ちを強くお持ち下さい。
報道は偏ることが多く、現時点で犯人がいわゆる「アキバ系」だったとする結論を鵜呑みにするには早過ぎます。しかし、世間はそうは思ってもらえないでしょう。秋葉原という土地、犯人像、犯罪の規模。それらから導き出される答えがどのようなものなのか。皆様はもうお分かりのはずです。既に他人事ではないのです。このような事件が頻発するようであれば、我々の身も危険に晒される。そうなれば他人事とは言えない。また、私は犯罪は環境によって引き起こされる犯罪環境誘引説を支持しています。罪を犯した人間がオタクであれば、その原因を知り、オタクであるが為の特性に行き着いた場合は、その犯罪に結びつく特性をオタクの中から排除する努力が必要になるでしょう。誰もが犯罪者になる可能性があるというのが持論でして、この仮説から行けば、自らが罪を犯す危険性を減らせるのではないかと。これは、先ほどの被害者側からの防犯ではなく、加害者側からの防犯であり、やはり他人事とは言えない。
今、我々オタクに必要なことは、身内の暴走を止めること。しかし、そんな事は、事実上不可能。ただただオタクは危険な殺人犯だとされてしまう前に、我々は我々の誠意と団結力を見せなければなりません。究極的には自分達の為となってしまうのですが、その一歩目として、多くの被害者に哀悼の気持ちを持ち、献花台を供物で埋め尽くすことからはじめませんか?我々は人の心を持ち、人の熱い血が流れている事を示してみませんか?冷酷で残忍、秋葉原に居る『何らかの生き物』は極めて危険だと思われない為に。
赤い血の通う同じ人間であることを示さなければならない。
貴方は決して罪を犯していません。しかし、信頼を得るには失う事の何十倍も時間と労力が必要です。
「何で自分が犯人に代わりに、批判の矢面に立たねばならないのか?」などと思わず、
犯罪史に残るであろうこの事件を正面から受け止めましょう。
「自分が危険なオタクで無いことを示すため」こんな私的な理由で献花台に花を手向けることは不謹慎ですので自粛すべきですが、もしも貴方に一握りでも純粋な哀悼の心と、正義感があるのでしたら、秋葉原にお越しの際には供物をご用意いただけないでしょうか。
1つを見て全てを知りたがるのが人間です。ごく稀な例を捕まえて、オタクは殺人犯だと言うのは間違いです。言う側は事実誤認からくる思考停止という不利益、言われる側は精神的苦痛等の不利益。どちらも幸せにしません。しかし、それは我々にも僅かながら責任があるのです。我々の多くは意思表示をしません。他人事と思い、ことごとく事件や難問を無視し続けてきました。その為に妄想が妄想を呼び、世間に実態の無い鬼を生み出してしまった。我々は示さなければなりません。オタクという存在を。真っ当なオタクの矜持を。気に入らなければ罪を犯し、人を殺すような腐りきった性根など持ち合わせていないこと。少々の著作物にある表現で揺らぐほど精神がヤワでは無い事を、示さなければなりません。いつまでも地下に潜り、生きながらえるものではありません。きっと、今がその時なのだと思います。我々が地下から這い出し、今まで逃げてきた批判や雑音を受け止め、誤解を解かなければならない、「潮時」。
必要以上の非難や規制論が巻き起こるでしょう。地下に潜っていれば、それは殆ど聞こえません。しかし、いつかは掘り返され、全てが無になるわけです。痛み無くして生きることは許されない以上。今回の事件を胸に刻み、逃げ続けたツケを払いましょう。我々の責任、受けるべき痛み、果たすべき義務。その全て。
【追伸】
秋葉原とその文化を愛し、このようなサイトまで立ち上げた管理人の戯言ではありますが、
今一度お考えいただければ幸いです。
【2008/06/09 投稿】