サブカルチャーだから許されるかもしれない。と、考えて試験的にエッセイといいますか、日記を掲載してみます。いかがでしょうか。
「麻雀で一稼ぎしたいんダァ―」
いっぱしの大学に入れてもらってこんな事をヌかすド阿呆が居る。
博打打ちがどんな世界か知らないから言える、無邪気で可愛らしい発言だともとれる。
博打打ちの中でも雀プロってのは、朝から晩まで、寝ても醒めてもガチャガチャと牌を喘がせて、強打する度に卓を泣かせ、何よりも自分の体を泣かせる仕事だという事を知らない。
学生街やオフィス街にある麻雀荘で、身内相手のセット麻雀でそこそこ勝ちだすと、こんな酔狂を言い出す人間が居る。寝言は船を漕いでる間だけにして欲しい。
身内との勝負ならコスいイカサマを使って安定して勝てるだろうが、商売人ともなるとそうはいかない。ヤが付く仕事をやってても賭博でメシが食えない時代。どうやって食らいついていくつもりなんだろうか。
Bという知人が、麻雀が強くなりたいと言う。彼も一流大学に入ってるわけだから、そこら辺の若者よりは頭がキレると考える事が出来る。しかし、アルバイト仲間と麻雀をするといつも負けてしまう。時々のメシ代を賭けているようだが、4人で打てば4人分。学生にとってはそれなりの出費だ。
博打というのは運が絡む。お勉強とは違い、100%の知識を得れば無敵とはならない。運は必ず枯れる物だと自分は考えているから、その日の運がいつ枯れるのかを知らないと博打では勝てない。また、運の発火点を知らずに打つ事ほどバカらしいものはない。
1日単位どころか、1局単位で運は推移している。ならば、その波に乗らねば勝てないのは必然。運に火が付いても無いのに無理な手役を組めば、即ち沈む。半ツキ状態だ。
運の波とは流れとも言い換えることが出来る。そいつが来る前に自分の通帳から運を無理矢理引き出して使えば、何となく良さそうな手役が出来てくるが、完成を目前にして他人にガラガラとやられてしまう。
満貫だったんだ、6000オールだったんだ、今のは勝負手だから打ち込んでも仕方ない。
などと言っていたのでは決して勝てない。
勝負手を引き寄せる事と、通るかどうか分からない牌を切り出す事で既に2ポイントの運を吐き出している。これで直撃などを食らえば目も当てられない。自分の波が来る前に、通帳の残高はゼロになる。
頭のいい人間はどこまでも確率を信じる。確率を信じる事は結構だが、一本槍の人間はスグに叩かれる。シャンポンよりリャンメンだと考えるのは当然だが、それを信仰するばかりに相手に付け入られる。シャンポン、単騎、地獄待ちのエジキになってしまう。
まだ問題はある。ピンフ系を好むあまりに流れに身を任せられないで居る。
海水浴で沖に流された時、無理して浜を目指すのではなく、離岸流に身を任せた方が助かりやすいとも聞く。この瞬間、流れに逆らう為に運を吐き出している。
だから目に見える中盤以降の決戦時に差しきれない。将棋と同じで大勢は前哨戦、序盤戦で決していることに気付かない。東風戦ならまだしも、スタートダッシュに命を燃やす必要はない。前を走れば追われるだけである。逃げ切るつもりなら、後の三人の的になるのを覚悟しなければならない。
B君は手っ取り早く博打が強くなりたいと言う。
残念ながら博打は強くならない。と、私は思う。また、そう口にする。
博打は上手くなるのであって、決して強くはならない。
どこまで行っても剛直な運を持ってる人間には敵わない。なのに自分が生き残っているのは、のらりくらりと相手の一撃をかわして、致命傷を負わなかったからである。
大相撲で言えば、自分は千代大海や出島だ。剛直な運を持っている人間は白鳳や大横綱の朝青龍といったところであろう。徹底した突き押し、出足で一気に攻めきる。相手が組もうとしても絶対に廻しを与えない。がっぷりと組んで大相撲になっては駄目。そういう相手に相撲をやっては駄目なのだ。相撲ではない何かや、一点突破で勝つ。
だから、博打は強くならない。上手くなるという意味では、安美錦や舞の海関のような相撲が理想である。運の無い人間は上手くかわすことだけを考えればいい。目の玉が堅くなって、どうにかして打ちのめそうと考える、心清き全ての人間は須らく消えていく。
口で言っても上手くはならないから、B君には毎日1000円ずつゲームセンターにある麻雀ゲームを一週間やるように言いつけた。怪訝そうな顔をしていたが、彼はどうやら真面目にやっているようだ。
「毎日1000円ゲーセンに通えばいいよ。そうすれば分かる」
「ゲームをするだけで?」
「うんそう。ただし、帳簿はつけなさいよ」
「帳簿って何を書くの?」
「勝ったら幾ら勝ったか、負けたら幾ら負けたか、賭場で金を毟られた気持ちになって帳簿を付けるンだ。やってみて分からないなら麻雀はやめなさい」
上手くなりたければ、試してみて欲しい。敢えて正解を書く事はしない。
剣豪が弟子に秘伝を大っぴらにしないのと同じで、水汲みや薪割りなどの雑用係として扱う事を思い浮かべてみてください。10人の弟子が居れば、皆が免許皆伝となるわけではない。雑用でくたくたになって寝転ぶ人間はそもそも剣豪にはなれない。疲れた体に鞭打ってでも、雑用の最中でも、師の動きを見、技を貪欲に盗まんとする弟子だけが剣豪になる。 (私は剣豪にはなれない方の弟子だった)
だから正解は書きません。答えを急く人は、和了を急くとも考えられるが、それではない。これだけヒントを出していて、答えに気付かない人は真っ当な心の人だと思って人生を楽しめばいいだけなんです。