原著>>>読み難いけどそのまま訳した訳書(岩波的)>>>読み易いけど原著とはちょっと表現が狂ってしまう訳書
という評価は本当だろうか。自分はドイツ語など読めるはずも無いので、読める人の本を読むしかないが、原著を無理矢理エキサイト翻訳みたいに書き下した方が高等だというのはどうも納得が行かない。
彼らの主張は主にこうだ
・一言一句、日本語的でなくても正確に訳す事が大切
・読み易くする事は学問的価値、品位を損なう
・原著も読めないバカは黙っていろ
・アカデミズムな物こそが学問だから、それが理解出来ない奴は黙っていろ
確かに私は文盲に等しいかもしれませんが、日本語とは到底思えないような、読みにくく理解に困る「訳書」は本当に存在価値があるのか?それなら原著を読んだ方が正確だろうし、無茶な日本語訳、理解出来ない書き方、読んでいて混乱する・イライラする書き方(見開き1ページに彼という単語が20回以上登場する!)、が日本語の本として成立しているとは思えないのです。
日本語にする以上、日本人がちゃんと読めるようにしなければ、不十分な理解で、学問を誤解されてしまうのではないか。哲学などは特にそうなのではなかろうか。本当は実に学問として面白いのだが、それを理解していない日本人によって、日本の哲学は妄言と心理テストの権威付けにしかなっていない。
理解出来ないからこそ日本語で読むのに、日本語で書いてあっても理解出来ないなんて、そんな本は時代的に言えば「エコ」じゃないですよねェ。