2005年前後のmixiはなぜあんなに元気だったのか考えてみる。
かつて、「mixi八分」という言葉があった事を覚えておられるだろうか。
今、mixiを始めた人間のどれだけが知っているのか。殆ど知らないのではないか。 かつてmixiは「クリエイティブ」という曖昧で荘厳な壁によって守られていたのだ。
当時、ブログというものが走り始めた頃で、全く機能的に充実しておらず、とてつもなく重たいYahoo!ブログを弄りながら各人が懸命にサイトを運営していた。ネットとはそういう所だったのです。情報を求め様々なサイトを自分の足で探し、充実したパイロットサイトを見つけては歓喜し、面白いブログ主(ブロガーなんて言ってなかったと思う)と交流し、時には一緒に食事をし。そんなアナログとデジタルの折衷な世界が2005年頃までは存在した。
これは、ネットが普及しきっていなかった事が大きく、ネットを十二分に使いこなせ、世の中に情報を発信できるような人間は、人間性も優れているだろうという信任の下で行われた交流で、昨今のように低級な人間ほどネットを使い込む、「情報は弱者の武器」という言葉を曲解し、「弱者による情報への攻撃」が始まる以前の奥ゆかしい物でした。
ネットリテラシーというものも十分に確立しておらず、mixiで出会った人の中には約3名、「雨龍、お前面白いから俺の携帯と電話番号教える。○月○日に××で会おうな」なんて人が居ました。見ず知らずの他人に平気でそういう交流を行っていた。かく言う私も、どんどん色んな人と知り合い、秋葉原や大学で交流を深めました。大学講師から始まり、若い研究者、ニート、服役経験者…などなど。今ではこんな事は無理でしょう。なぜなら、そんな人を探し出すのが骨であるし、そう簡単に会えない。簡単に会えるような人間は「ヤバい」人でしかない。
「クリエイティブな人間をクリエイティブな人間が招待する」
というシステムによって担保された人間の質こそが、この黎明期の交流を可能にしたと言えるでしょう。この曖昧模糊とした認定基準によって弾き出された多くの連中は、「mixi八分」と言われ、2chなどで誰かが誘ってくれるのを待つという「神光臨待ち」、「mixi招待祭」などが起こっていた。そうでもしなければクリエイティブでない彼らはmixiの世界を覗けなかったのです。結果として、「酸っぱいブドウ理論」が発揮され、「mixiなんてクソ!低学歴のやるもの!!」などと吹聴してまわる輩が多数居りました。
ブログ主同士の交流などからmixiへの入り口が与えられ、物を書く者同士情報を交換し合い、互いの生活に潤いを与えてきた。手軽なブログ、ブログよりずっと内々向けの日記帳としてmixiは時代のニーズを見事に昇華させた。
しかし、今はご覧の通り。下劣な情報が氾濫し、物を書くべきでない人間が物を書くべき人間の文章を覆い隠し、探し手の労力を増やし、書くべき人も、読むべき人も同様にやる気を失ってしまった。彼らは、自分達のせいでネットがどうしようもない欠陥物件になっていることなど気付けやしないから、これからもmixiに限らず方々で衰退が始まるだろう。この衰退こそ最大のビジネスチャンスで、クリエイティブな人間が死滅すれば、後は物を考えられない消費者ばかり。情報発信企業としては旨みしか無い世界になる。他人のフンドシで相撲を取り、連戦連勝確実。自分達で追い出したのだから仕方が無い。ネットは言論、情報のフロンティアという時代は終わったと言って良い。
クリエイティブな人物は雲散霧消し、今やTwitterなどで有名人にぶら下がることで自分の格も上がったと勘違いした虚しき人物ばかり。散り散りになったクリエイティブの欠片を結集できれば、2005年どころではない、クリエイティブが発揮できるように思う。2010年に再出発というのは悪くない。mixiに変わる、濃密で品質を保証した空間の存在が今、求められているように思う。