自殺しようという人に、生きる希望とか勇気とかいう人が居るが、あれほど信用できないものもない。そもそも、我々は仕方なく生きてやってるという事を忘れちゃいけない。我々は生まれたい!と手を上げたわけじゃなく、産み落とされてしまった。英語で「I was born」ってのは言い得て妙。産み落とされちまった。
「人間に生まれ、生きてるだけで丸儲け」
とは、血縁者の弁。死んだら負けよ。どんなに立派な聖人も、死んだら負け。
悪党でも生きてる方が勝ち。少なくとも自分はそう思って生きてきた。
【補足】
博打ってのは、人間のクズがやるもの。そのキングオブクズが卓を囲んでガチャガチャとやる。
金が無ければそれさえ出来ない。それさえ出来なくなるってことはキングオブクズは死ぬしかない。
自然消滅的に死んでしまう。死を選ぶんじゃない。餓えたり、発狂して死ぬ。
もしくは豚箱につまえられたり(入れられたりという方言)、病院につまえられたり。
だからあんまり自殺にはならない。自殺するような人間は芯が立派だから、
キングオブクズの称号を得る前に自ら選んで死んじゃう。博徒になんかなれない。
真の意味でキングオブクズになった奴から順番に死ぬ。
つまりは完全なる負け。ということ。
博打打ちで人間のクズであった私から言えることは、今が最悪だと思うなってこと。最悪って何だよと。仕事が無いとか、打ちひしがれたとか、博打以外に生きる道も見出せなかった自分からすれば贅沢な悩み。
「(俺の人生での)最悪」は、私の人生の「ちょっと辛い」くらいかもしんない。どっこいオイラは生きている。「お前は学歴あるからいいよな」と就職活動中になじられた事もあるけど、何でも上手くいったらツマラン。人生の流れを楽しむ位の余裕が欲しい。学歴が無いなら無いなりの生き方が1つ、2つあるもの。元博徒に案外まともな生き方が用意されてたんだから、探せばあるさ。
『人間到る処青山あり』
どこに行って何をしたって死ぬさ。死に場所なんて探すほどのものでもないし、死に方なんて選ぶほどのものでもない。大いに生きて、大いに死ねばいい。適当に生きていたら博打打ちになってたし、気がついたらそこそこの大学に入ってた。それだけ。
何のビジョンも持ってない。世間は夢だ、目標だと言うけど、そんなものを持ってるから打ちひしがれるんだよ。と思う。微塵の向上心も計画も持ってなければ、それが狂うことなんて無いわけで、人生設計が失敗したからリセット。なんて事にもならん。選択肢が多い時代だからこそ、何にも考えんなよと。農家のガキは農家。武士のガキは武士。彼らが真剣に悩んだろうか?ってこと。流れに身を任せて、必要な分だけ努力しておけば良い。計画通りに人生が進んだ大人がどれだけ居るよ。上手く行ってないくせに、子供には「夢」「希望」「計画性」「努力」とか言うんだよね。
27歳の会社員の女性に囲われてる19歳の賭博士とか、アブない物のアガリで稼いでる奴とか、最近何かと話題のヤクザ屋さんの倅とか。そんなのと散々やりあってきたけど、言うほど悪くなかったよ。つまり、打ちひしがれて自殺ってのは、今まで良い人生を送ってきた証拠よ。私は打ちひしがれんもん。面倒くさくなって死にたいって事はあるけどね。死ぬのも面倒だから。
「ああ、困った。自殺しよう」なんて贅沢病だってこと。
世間体を気にしてるからそうなる。世の中を捨てっちまえば、そんな悩みなんざ消し飛ぶ。勝手に生きて勝手に死ねよ。悩むほど死に方にバリエーションなんて無いから。お迎えが来るまでテキトーに生きておけばいいさ。自分はそうしてきた。
仕方なく生きてやってんだから、生きたくなくなったら生きるのをやめるのもいいだろうさ。
それくらいの軽い気持ちで人生って送るモンだろう。