電子書籍の時代がやってくる。巷では何やら守銭奴による団体と、団体に属しながら抜けがけして儲けてやろうという酷い企業と、無能な編集者、有能なアマ達がキナ臭い紛争をおっぱじめんとしている。電子書籍は出版業界を殺すか。とりあえず、自分なりに手探りながら考えてみたい。
先の事を言えば鬼が笑うが、特段誰の意見も入れない無垢な状態で、自分なりに考える。
先ず、電子書籍の何が恐ろしいかを一言で表すならば、「産業の破壊と創造」である。
しかし、この破壊面ばかりをことさら強調したり、創造面ばかりを重視する姿勢が見られる。
物事を単純化することで、敵味方の構図に仕立て上げるという常套手段だ。
既得権を持っている連中からすれば、この戦法以外とりようが無い。
先ず、電子書籍が普及すれば雑多な仕事をする出版業界の人間が餓えて死ぬ。
ごくごく一部の超有能な編集者、校正、ライター、デザイナーが生き残り、他は皆死滅するという未来が見える。面白い物が売れ、面白く無い物は売れなくなる。これは良い面も悪い面も当然出てくる。才能次第で出入り自由な風通しの良い出版業界になるが、様々な意味での悪書が蔓延する可能性も十分ある。
無能な出版関係の人間(プロ)のクビが飛び、有能な人間(アマ)と入れ替わる。
となれば、気が気でないのはスケールメリット(大きい方が何かと有利になるというアドバンテージ)でやってきた出版社の社員だ。中小出版社にも電子書籍の空爆は襲い掛かるが、上手くかわし、反撃に出る事も可能である。元より良い本を出す中小出版社は少数精鋭。フットワークも軽い。専門書(論文集)を主に扱う出版社は、その発行部数の少なさから1部辺りの価格が50P程度の雑誌で3000円などとなり、先ずもって市場には流れなかった。これで印刷費用が浮けば、より多くの人間に学術的に価値のある情報を提供できると考えれば、全てがマイナスというわけでもない。
本と言うものは、限られた人間にしか作れない。文化的、社会的創作活動であって、元より聖域である。けっして読者を無能な木偶と罵っているわけではなく、むしろ無能な編集者をのさばらせた業界に物を言いたい。経費節減などの大義名分の元で作家や編集、ライター等を馬車馬よろしく使い倒し、品質よりも量で対抗してきた。この数十年で出版物の量は約4倍に跳ね上がったと聞くが、売上げは上がっていない。かつてのゲーム雑誌などを見れば分かる通り、時流もあったが当時の雑誌は愛に溢れていた。今のように広告主に頭を下げ、出版社の身勝手な編集方針によってウソや捏造、情報隠しが横行、商業的な成功さえ収めれば何でも良いというものではなかった。
当然編集者や作家の品質も下がり続け、厳しい割に夢も叶わず、実入りも少ない、拷問のような仕事が出版の仕事と認識されるようになった。それでも人気職種なのは本の力などではなく、本の力が衰え、誰にでも作れそうと思えるようになったからなのかもしれない。
こういった腐敗に対して、真に実力のある人材が、出版社の腐れ外道ぶりを見て出版の道を歩まなかったエリートが、電子書籍に乗り込んできたらどうなるか。無能な社員は懸命に進出を阻まねばならないだろう。しかし、そんな抵抗が長く続くとは思えない。有能な人間が勝利しなければ、あらゆる努力や経験は無価値という事になる。勝者は出版社側ではなく、きっとエリート達だ。
本というものが、人を豊かにするための娯楽であると少しでも思うのであれば、この流れを止めるわけにはいかない。編集者はむしろ、喜んで彼等の進出を受け入れるべきである。本の価値よりも金の価値を追う者達には地獄のような日々が続くであろう。
電子書籍からの爆撃 2へ続く