オタクという言葉が定着してからおよそ10年。
世間的にはアキバ系という言葉の方が通りがいいようですが 、
いずれにせよそのような言葉が広く認識されるようになりました。
かつてオタクといえば、マニアであったり、ビョーキであったりと
呼び方が変遷してきたものであります。つまり、今日のオタクという
言葉が、過去の(2000年代初頭までの)オタクという言葉と、
音は変わらなくとも、中身がそっくり入れ替わってしまっていたとしても
不思議ではありませんし、嘆くには値しないのかもしれません。
【オタクという言葉の変質について】
オタクとは元々非常にコアなものでした。
ネットなどもない時代、他人に理解してもらうことが難しい、
極めて専門的な 人間を差し、それはクリエイティブな側面や、
研究者的側面を持っており、同時に反社会性や 社会不適合性も
持ち合わせていました。
しかし、現在のオタクは、このような要素を残してはいるものの、
簡略化、形骸化され、都合のいいときにだけ用いられる傾向があります。
カワイイという言葉や、ありえないという表現のように、大衆化すると、
その用例が多岐に渡り、広範になりすぎるが故に、一体、何を指して
いるのかが明確にはわからない表現があります。
お爺さんやお婆さんもカワイイし、十分ありえることも、ありえないのです。
言葉は大衆化するにつれ、定義が曖昧になり、日にちが経ったタマゴのように、
黄身と白身、もとい、意味と対象の境界が見えにくくなっていきます。
更に、境界が見えにくくなった後は、品質の劣化が始まります。
こうして適切な表現ではなくなり、死語となるものもあるのですが、
オタクという言葉は現時点では死んではいません。
ただ、品質の劣化は相変わらず 進んでいると思われます。
【オタクという言葉の定義について】
かつては非常にコアだったオタクという言葉の対象が、今はカジュアルな
ものとなり、裾野が広がると同時に、品質の劣化がはじまりました。
「野球選手」という定義で想起するのは、一般にプロ野球選手ですが、
草野球チームに所属している人、高校球児、少年野球の選手も、
「野球選手」と呼んでも語弊はありません。もちろん、メジャーリーガーも
野球選手ですね。
しかし、我々が通常「野球選手」として思い起こすのは、プロです。
それは、プロ野球という防波堤があり、そこに辿り着くのは一握りで、
すごい人物である。という共通認識があるからです。
「野球選手」という言葉の品質を守っているのが、プロ野球組織であり、
プレイヤーの技量なわけです。
では、オタクはどうでしょうか。
品質を管理するシステムはありますでしょうか?
私が大学に入ったころなどは、先輩に、
「何も知らないのにオタクを自称するな」
などと怒られたものですが、現在はそんな難しい先輩も減り、
同好の士による馴れ合いが多いようです。
巧拙や順位を決めないことが暗黙の了解で、
誰もが乏しい技量や知識量で オタクを自称しているといいます。
オタクという言葉、定義、その背景にある文化は一般人によって
破壊されたと主張する方がいますが、それは一過性のもので、
2005年から2006年にかけてのアキババブル時の話でしかありません。
本質的にオタクという言葉や文化を破壊しているのは、
低品質の人物です。無知であることを是とする世代(人物)が押し寄せ、
獅子身中の虫による自壊が主たる原因といえます。
もちろん、一般人のオタク化、大手資本の介入などが起爆剤となり、
オタク世代間の価値観が、同じゲームやアニメをしているのに共有されなくなり、
隔絶された結果ではあるのですが、継続して旧来の意味のオタクを破壊している
のはオタクなのです。
自己をクリエイティブな存在だと信じ込んでみたり、
オタクであることに選民意識を持つにも関わらず、特段の努力をせず、
世間を見下す、反社会性下流文化にオタク文化はなりつつあります。
【これからのオタクについて】
研究や芸術からサブカルチャー、そして娯楽へ。
この流れを古いオタクとしては悲しく思います。
新世代には新世代の言い分があるのでしょうが、
せっかくの趣味であるならば、趣味に終わらせず、ライフワークに
して欲しい。それがなければ生きて行く理由がないというくらいに
愛して、努力を重ねて欲しい。
そうでなければ、ますます大衆化が進み、オタク本来の意味を
失ってしまいかねません。
オタクがオタクでなくなったとき、そこに残るのは
無能者の集団であろうと私は思っています。
オタクとは、所属すべき母体ではなくて、作り上げるべき対象です。
オタクだから偉いだの、無能だのという議論は無価値で、
一個人の能力とオタクであることは無関係。
たまたま好きなものがオタク文化と呼ばれるものだったというだけ。
ですから、オタクだから社会性がなくても許されるだとか、
オタク趣味で自分の無能をごまかすだとか、
そういった言い訳に使って欲しくないのです。
こういう行動も、ますますオタクの品質を低下させ、
世間が考えるオタク像(アキバ系)の「無能集団」 に成り下がってしまいます。
それは恐らく、反社会性を持つオタクとしては望まないところでしょう。
実社会でも、二次元世界ほか、趣味の世界でも一流を目指して欲しい。
古いオタクとして、こう思ったりする今日このごろです。