インターネットなどのパソコンにまつわるもの、データ化できるもの。コンテンツ関連は、
フリーだと思われているフシがあります。素人作家(侮蔑の意味ではなく)が知名度を獲得
するために無料で頒布する例も多く見られます。素人作家が値段をつけると、どこからとも
なく罵詈雑言を投げかける輩が湧いてくるからでもあるかもしれません。客は湧かないのに、
こういう手合いだけは湧いてきます。そのうちやる気だけそがれていくわけです。
つまるところ無料というのは、金の払えない人間に対する号令であって、世にあまねくすべ
ての人に対するものではないということなのです。あなたの魅力を知って欲しければ、しか
るべき場所にどんどん献本すればいいのです。
(献本のルールについてはこちらをお読みください)
無料であることには限界があります。時代の最先端を行っている(と本人は思っている)、
ネット時代の申し子、デジタルネイティブは、無料であることは当然。著作権は無視される
べきものであると考えています。これがどれほど浅薄であるかは、ことさらとりあげるべき
ものでもありませんが、彼らが信奉する故ジョブズ氏、ゲイツ氏、ザッカーバーグ氏らは、
無料にしてすべてを変革させたのでしょうか。答えはノーです。時代の寵児は、資本主義を
否定してまわったわけではありません。むしろ、先立つものがなければなにもできない。資
本主義を肯定しているに過ぎません。テクノロジーの進歩は、資本主義と共存しうるもので
す。ダウンロードサイトから引っ張ってくればいい。そういう時代だなどと、 我田引水的に
ものを語る連中をいくら味方にしたところで、あなたが将来、メシを食えるようにはならん
ということなのです。もちろん、そのグループの中で名をあげた後に、そういった連中を見
切るというのであれば別ですが。
無から有を生み出すことは大変ですが可能です。有から有を生み出すことを、人は盗作とい
います。それでは、無から無を生むことは……?
そんなことはできないわけです。生んでいないのですから。フリーやコピーで済ませるのが
当たり前だと思っている子は、無から無をつくっているのだから、罪になるはずがないと考
えているフシがある。しかし、そんなことはありえないんですよ、ということ。
働くということは、命を削るということです。限られた寿命を差し出すということでもある
わけでして、なんでもフリー、なんでもコピーにするという価値観は、自殺志願者もしくは、
殺人狂にしか見えんのですよ。少なくとも、私からすればですが。