自分達が暴れていた時代、自分達は素晴らしかった。そして今も素晴らしい。そういった類の美化を行うために構成された番組が多いですよね。若者は気合が足りない!なんて言い出すアレですよ。若者の元気を削いでいるのは誰か?という事は考えてもみないんでしょうね。
今の若者は豊かな中で育ったから暴れたりしないんだ!
そうかもしれません。ですが、暴れることがそんなに良い事なんでしょうか?力を行使することは簡単です。気に入らない人間を打ち据えればいい。ものの数秒で決着がつくでしょう。力を使う行為ほど原始的なものはありませんが、即効性はありますね。
しかし、最近の若者の犯罪を見れば分かるとおり、最近の若者は力を行使しないんです。腕力で女性を強姦したり、気に入らないからといって殴る蹴るの暴行を加えたりしない。おとなしいという事も出来るでしょうが、賢いとも言えるのではないでしょうか?力では解決できないものがあると知っているのかもしれません。説得こそ最高の手段と信じているのかもしれません。
ただただ、以下のようなデモで暴れる事だけが手段ではない。そう知っているからこそおとなしいのではないかと。暴れないから最近の若者はダメだ!という主旨の発言も街角からは聞こえてきます。つまり、武器を準備し、シュプレヒコールを上げる人間が上位で、あげない人間は下位ということでしょうか?
強姦や暴行を働く若者は健全で、それをしない若者は異常なのでしょうか?暴れないのはダメだ!というということは、極端に捉えれば、もっと犯罪を犯せ。という事にもなりうるのですが。
最もおとなしい人間としてオタクが出てきたとも考えられるというのに、未だに暴れることこそ最上と考えている集団が社会を牛耳っていると思うと、怒りも冷めてしまいます。無気力感を生み出しているのは、おバカな大人であるとは思ってもみないんでしょうね。彼等は。
戦うことは大切です。社会に対して不満があればそれを訴えることは絶対必須。しかし、今、そんな社会でしょうか?聞き届けてくれる可能性が極めて低いのに誰が無駄な労力を使いますか?若者の意見を聞こうという体勢が先ずない。門戸が開かれていませんよね?
ネット言論は特にそうです。
「オタクが書いている様な事は大したものではない」
「ネットで発言する奴は皆臆病者だ」
などと罵られる始末。訴える場所が無い人間が最終的に選んだ場所がネットであるというのに、このように見向きもしないメディアや社会に何を言っても仕方が無いと考えるのが普通でしょう。
その点から考えれば、昔は幸せだったのかも知れません。団結出来る社会と人がおり、その行動如何では変わる可能性を感じることが出来たんですから。
若者の力不足、若者はノンポリ、若者は自己中・・・数限りない若者へ向けられる誹謗中傷。この怒りを若者はどこに訴えればよろしいでしょうか?テレビ局にメールを送ってもナシのつぶてでしょう。電話をかければ適当にあしらわれるんじゃないでしょうか?
世代間に大きな溝を作っておきながら、平然とこのような発言を行い、それを流す社会ですからね。どうしようもないのかもしれないですが。
若者が頑張れば、若造がでしゃばりやがって!と言い、頑張らなければ最近の若者はだらしない!と言う。そんな年寄りが多い国はなかなか変われないんだそうですよ?
政治学では、20代の人間が多い(発言力が強い)国は革命が起こりやすいそうです。
真に改革を求めるのであれば、若者に全権委任してみてはいかがでしょう?
え?何ですか?そんなことしたら自分達の職と食い扶持がなくなる?
ダメだこりゃ・・・w
そうしてまた一つ若者達が気力を失っていくんですね。
隠居してください・・・って方は是非ワンクリを~。
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