経済効率だけを考えるのも、文化を守れと経済を考えずに暴れるのもどうかなと思いますが、やっぱり経済へと傾いてる気がしてどうにも。とか言いつつ、あんまり経済の話はしません。文化メインです。
経済効率無くして、論を展開する事は許されない。
というのは分かります。しかし、経済効率を無視するのが許されないのと同様に、文化的側面、景観的側面を廃して、都市を語ることは許されない。
今年のGWは曜日の並びと天候の関係もありますが、一昨年から続くアキババブルは弾けてしまったようですね。そもそもオタクがめっきりと減り、代官山かと見間違うような駅ビルの林立は、アキバを普通の街へと変えてしまいました。
そこにあるのは最新のモデルタウン。最新版新宿といったようなもので、何の「アキバらしさ」も含んでいない。風俗の客引きが歌舞伎町界隈をウロつくように、メイドがビラを配り、それを嬉しそうに受け取る観光客。
各報道でも、秋葉原は最新のデートスポットのような扱いで、既にオタクの街として紹介されることも無くなりました。オタクの街として出てくる場合は嘲笑の対象としてのみです。
とはいえ、単純に各メディアを責めるわけには行かない部分も多々ございます。それは、ゴミクズと言い切っても構わないであろうダメなオタクが街の文化を破壊しているからです。
秋葉原の文化変遷は、空間の共有だと私は考えます。
マイコン好きが駆逐されたのは萌えオタのせいではなく、パソコンの台頭と一般化のせいです。例外もあるでしょうが、秋葉原という空間に、あらゆる下位文化の担い手が集り、狭い空間を占拠することなく満員電車のようにすし詰めではあれ、仲良く空間を共有してきた。
この空間の共有と言うのは、実際に起こっているものではなく、強いてあげるなら、秋葉原にある各種ショップが共有しあっていたに過ぎません。アキバのオタクに色が付いているわけではなく、ショップに色分けがあっただけ。ですから、人的に秋葉原の空間に対して負荷がかかることは無かった。
しかし、今はどうでしょう。色の付いた人間が、これぞ秋葉原の文化だと自己顕示欲丸出しで喧伝し、秋葉原の空間を実効支配していませんか?秋葉原に負荷をかけていないでしょうか?萌えオタやPCオタなどは、結局のところアキバはショッピング街であり、秋葉原の文化や景観を愛する事はあれども、その土地にしがみつく事に意味を見出さなかった。
(だからこそ、オタク激減という現状にも繋がるわけです)
しかし、サバイバルゲームや路上パフォーマンスをする人間は、秋葉原の土地を占拠しない事には目的を果たせないわけですから、大きな意味を持っているわけです。秋葉原の空間支配がショップではなく、闇市以降初めて利用者によって行われた瞬間かもしれません。
彼らは土地の占拠が必須条件です。これらは、その土地を通り抜ける予定の他の利用者にとって好ましくないのは明らか。こういう使い方は、買い物客(旧オタク)と比して、土地自体への負荷が尋常ではない。今後も順次オタクは減少していくことでしょう。
東京と言う街だからこそ、オタクが居なくなっても最新都市という意味で、ファッショナブルな各店舗は生き残るでしょう。しかし、秋葉原と言う空間を共有し、文化の担い手であり消費者である我々オタクの循環経済は破綻します。同人誌を描く人間は同人誌を買います。こういった特異なシステムが破壊されれば、描く人が減り、買う人も減る。とすれば、自然と文化が衰退するのは言うまでもない。
大の虫を生かすためには小の虫は殺さねばならん。
これは良く分かりますが、大の虫が困らないほど飽和状態のメガロポリス
(厳密にはメガロポリスと呼ぶにふさわしくありませんが)
にあって、なぜまた小の虫を殺すのか。要らないダム建設となんら変わらない。
一般化した方が儲け易いから?まさか。逆ですよ。
時代は差別化、多様化の渦中にあるじゃないですか。
コーヒーショップ1つとっても、差別化出来ない店は淘汰される。
都市の一般化は、都市文明によって延命されている住人にのみ喜ばれる。
機械化された街の何が面白いのか。大久保や神保町は実に味わい深い街だし、新宿、池袋、渋谷も味わい深い。これだけ都市の住み分けが出来ているのに、ここに来て劣化新宿を作ろうと躍起なのか。
経済効率信奉と新たな文化による支配が終わりません。