スト2の練習、上達について聞かれることが多いので、ここでひとつまとめておきたいと思います。
スト2が上手くなり得ない人
格ゲーではなく、スト2に限っての話として聞いてください。今から約700年も昔、吉田兼好という方がおられました。その方が記された『徒然草』の150段目に、実にスト2に通じることが書いてありました。可能な限り噛み砕いて訳しますと、
能を学ぼうとする人には、「上手くなるまではコソ練して、恥をかかないようになってからデビューしよ」というのがいるけど、こんなことをいってる奴が上手くなった試しがない。今現在、師匠と呼ばれている人は、その昔、下手だバカだといわれながらも平気な顔して上級者の中に飛び込んで行ったのだ。そこで習い、教えを守ったからこそ誰もが認めるナンバーワンになったのだ。これはどの世界でも同じことだ。
とあります。どの世界でも同じことだとありますように、能をスト2と読み替えていただければよろしいでしょう。スト2の世界でも、「上手くなってから対戦デビューしよう」という人は、一向に上手くなりません。なぜなら、スト2の上手さは目に見える表面的な部分にはほとんどないからです。初心者にとっての上手くなるは、コンボができるということになるのでしょうが、そんな部分は上っ面も上っ面で、もっともっと根本的で修練を積まなければいけない部分がほかにあるのです。しかしそれは上級者と呼ばれる人たちに挑み続け、痛い目に遭わなければわかりません。口で簡単に説明できるものではないうえに、説明するにもある程度の対戦経験がなければ受け取り手側が理解できないのです。
さらに、初心者の目から見ての上手さは、中級者や上級者から見ての上手さではないように、初心者が恥ずかしいと思っていることとは別に、上級者には上級者の恥ずかしさがあるのです。例えば、呼吸を読まれた、一瞬怖気付いてしまったといった部分。迷いや無謀は画面に出ずとも上級者は鋭敏に察知します。自分の弱い部分を見られたという恥ずかしさは、どこまでいってもなくならないのです。スト2は、それをいかに潰していくかの戦いです。ですから、「恥ずかしくないくらいになってから」という日は、永遠にこないわけです。思案をする時間があるなら、対戦に費やした方が建設的というものです。
また、上手さ=コンボという以外にも、上手くなってから=勝てるようになってからという人もいるでしょう。しかし、既に申し上げました通り、目に見える部分での上手さは表面的なものですから、勝てるようになってからはじめるというのはどだい無理な話です。ましてやスト2は二十余年もの間、攻略が続けられてきたタイトルです。対戦経験の中で培われる部分を捨てて勝とうとするということは、丸腰で敵陣に飛び込むようなもの。無謀というほかありません。どんなに自宅で己を鍛え上げても、勝てるようにはならないのです。
勝ちたければ負けろ。妙な話ですが、そういうことなのです。
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