とんでもないタイトルを付けてしまいましたが、場所に関する考えを現象面から見てみようと妄想したメモです。大したことが無い内容ですがご容赦を。
秋葉原の「場所」としての価値が低下しています。これは場所の価値を支える文化や景観が消滅していっているからです。文化・景観の画一化というのは何も建物や売り物だけではありません。そこに訪れる人間も景観の一部であると考えられます。外国にはジーンズないと通れない通りがあったり、正装しないと入れないレストランがあったりするのも景観に人間を含めると考えているからです。
さて、この画一化する現象を日本人はファスト風土化などと呼びますが、あれはエドワード=レルフが提唱した没場所性(placelessness)の二番煎じだと思われます。マクドナルド化する社会(ジョージ=リッツァ)などと同じですし。この没場所性ですが、もしも、外食産業が全てマ○ドナルドになったらどうでしょう。どの街に行っても食事と言ったらマ○ドナルドのみ。コーヒーと言ったらス○ーバックス、コンビニと言ったらロ○ソン…。こうなると、自然に景観というものが決まってきますね?企業のイメージカラーが街の色になり、最終的には日本の色になるわけです。
外食産業がマ○ドナルドだけとなると、食事に飽きるだけではなく、単調な世界を形成する原因になりえます。しかし、人間は慣れる生き物です。過去の景観など忘れ去ってしまえます。ビルの解体工事などが終わって数ヶ月もすれば、そこにどんなビルが建っていたのかあやふやになってしまうのですから。
食生活が飽きるという点を解消する為に、マ○ドナルドをファミリーレストランにしましょう。仮にガ○トにします。日本全国のあらゆる食事処がガ○ト。まあ、我慢すれば外食時に飽きてどうしようもないということはないかもしれません。しかし、皆さんの心の中にはきっと、ガ○トだけじゃあなあ…という気持ちが沸いてきていると思います。ハンバーグやラーメンなどは確かに出てくるでしょう。でも、他の店のハンバーグやラーメンの味が欲しい。という状況になると思います。商品名は同じで、使っているものも大差無いのにです。
そういった不満を汲み取って同業他社が存在しているわけです。また、ハンバーガーでもハンバーグステーキでもない。ポークソテーが食べたいんだ!と言う人も居るでしょう。そういった行間を埋めるために文字通り隙間産業が存在しているわけです。この行間を埋めていく産業は、ファミリーレストランなどから比べれば所詮ニッチ市場。では、経済効率が悪いからといって切り捨ててしまっていいのでしょうか。私は、この産業に携わる人間の権利を守れ!などと労組的発言をしているわけではありません。今まで見てきたように、隙間産業が無いと困るわけです。
モノトーンな(食)文化、産業形態、景観…。味わいなどあり得ない世界となってしまう。標準化を推し進めるのは国、大資本、経済システム、マスコミ、飼い慣らされた大衆です。隙間産業とその文化、都市景観の大切さをもう少し理解していただきたい。都心には神楽坂のような都心にありながら江戸~明治時代の空気を僅かに残すイレギュラーな存在が幾つかあります。アジアの商店街(中国やタイなど)にありがちな雑多な風景と、そこに根付いた特殊な隙間産業。経済効率や手前勝手な倫理観などで消し去っていいものでしょうか。イレギュラーをバグ取りのように塗り潰す行為に疑問を感じずに居られません。