ゲームクリエイターのクリエイトするゲームよりも花札屋(元ラブホテル経営企業)の作る「カートリッジ」の方が売れる。そしてまた、評価が高い。ゲームをクリエイトしているはずなのに、面白くなく、口だけは超一流のクリエイターってのは、クリエイターを名乗っていいのだろうか?
非常に厳しい言い方ですが、ゲームクリエイターというのは、
ごく一部の天賦の才能のある人間であって、ゲームを作っている人間全般を指す言葉ではない。そう思うわけです。我々は大体が文字を読め、文章を書けますが、「小説家」ではありません。文章を書いて人に読ませることもありますが、「作家」ではないように、ゲームを作れるだけでは「クリエイター」たりえないと。
ゲームクリエイターを自負する人間、ゲームを崇高な芸術作品、文化の極みだなどと主張する人間の手によって生み出されたそれよりも、ゲームの作り方も良く分からない。しかし、自分の中に確かにある「面白い何か」を形にした時代のゲームソフトの方が面白かったと思いませんか。
今のゲームがつまらないのは、凡百のクリエイターではないクリエイターがクリエイトしている気で居る為です。そして、そこに企業の思惑から金がついてしまうのが問題。ゲーム市場のバブルは去ったのに、ゲームメーカー内では未だバブルなんですよ。彼らの認識の甘さが、市場の硬直化を生み出したとも言えます。(我々購入者にも当然問題がある事はこれまでに散々述べた通り)
見てくれの美しさだけを追い求め(それすら海外に劣り)、ゲームの面白さまで置き去りにしてきたツケが今、払わされようとしています。簡単に言ってしまえば、ゲームメーカーが、新風を求めず、決まり金時…といいますか、特定の企業体(専門学校)からしか人を雇わない。今まで他社で勤めていた人間を拾ってくる…といった、イワシの回遊のような堂々巡りをさせている現状が、無能なクリエイターを許し、同レベルの作品を乱造する原因になっているのではないか。
ゲームの企画を考えられるのは、専門学校か現場に居た人だけ。
それ以外の人間が、面白いゲームプランを考えられるはずが無い…
などと、寝言をヌかす連中は、このエントリーの一番上から読み直す事を勧めます。
花札屋の一般社員が作るプラン、玩具最大手の一般社員の企画から生まれた卵型携帯ゲーム。
世間の感覚から酷くズレたクリエイターが作る、「面白いゲーム」なんてのは、面白くないんですよ。さっさとこういう連中を駆逐しなければ先は無い。現場も経営者も知識が豊富という意味ではなく、自分の殻に閉じこもりきりという意味の「オタク」なのが問題だ。お前の遊びたいゲームなぞ、同人ベースで出しておけ。