減っているのだとか。それを捕まえて、若者の○○離れなどと語る。
バブル期の生き方を基準にして語るから若者が○○から離れていると思うのであって、離れてすらいない。そもそも興味が無い、興味を持てない。20年位前から言われる「無感動」から、今はそこに「無痛」が加わった。
世代論ほど無駄な物はないし、科学的に語れる部分も無いのだが、「無痛」というのは実際に良く理解出来る。楽しむための下準備が必要な物に対して、今の子は一切の努力をしない。ある人物は、寿司屋でサビ抜きを頼む若者が多くなった事を取り上げ、「刺激物にすら耐えられない世代」と切り捨てた。
ただ、確かにそういったフシはある。だから今の若者は駄目なのだと言い切るまでには至らないと思うが、趣味にすら全力を傾けない。面倒ごとを嫌う。かく言う私もその中の一人だが、ゲームが好きだというのに、努力をしない。上手くなろうと思わない。その他一切の情報収集をせず、オタクらしいのに常に受身。企業側の提示した条件内で遊んでいる。自発的な部分が無い。
やってみれば面白いのだが、それをやる事を「ダサい」と思っているようだ。
「ダサい」という発想自体が死語的な意味合いで格好がつかないと思うが。
楽しむまでにちょっとした小山を越えなくてはならないとなると、入り口に来る前に帰って行く。そんなので本当に良いのだろうか。大きなお世話なんだろうが。
近年、とみに歴史を知らないオタクが増えた。古い物に対して執着しなくなった。企業が作り上げるムーブメントに飛びつくことがオタクであるかのような時代になり、消費原理が一般人と同じに成り下がったと言っていい。能動的な遊びを捨てて、何がオタクか。市民権を得た瞬間、それはオタクの欲する下流文化(サブカルチャー)ではなくなるというのに。
企業が諦めたら、オタクも辞めるのだろうか。流行に左右される、嵐の中の小船に同じじゃないか。
ここにこだわりの無さを見るオッサンが多いのだろう。自分もそう感じている。
【追伸】
若い子は負けたりするとスグにゲームを諦める。2、3試合であっさりと放棄。
ですが、オッサンのバイタリティーは凄い。毎晩対戦の申し込みが入る。
もう30、40と自分が勝ち続けても、「ありがとうございました!」と言えるあの姿勢は、30のそれなんだろう。自分もああいう実直な大人になりたいし、もうそろそろならねばいけない。
自分もやり直してみようかな。諦めかけた3rdの熱が少しだけ戻ってきた。
努力する事で繋がれる仲間が居るなら、そこに飛び込んで行きたい。
ポケモン育成論もそういうコミュニケーションのタネとして作っている。
人と繋がる為の努力をしていく時期ですね。