陽キャはバカだと笑ったところで
隠キャだの陽キャだの、うっせーって思うわけです。どうせ世の中をまわしていくのは陽キャであって、「陽キャ=バカ」というレッテル貼りに勤しんだって、隠キャにはなにひとつ変える力がないんだもの。時折爆発して、気に入らない世の中を破壊するなんて極端な行動をとる人もいるけれど、それは世の中を変えたうちに入らない。そんなことは陽キャにだってすぐできるんだから。駅なりショッピングモールで刃物を振り回せばいいんでしょ。思い立ったら1時間以内にできるようなことは、何千日悩んで、作戦を練り上げたって大した価値がない。
そもそも、人間は社会性を持つ動物だから、それを捨ててしまうと猿以下。猿の社会だと、社会性を持っていないと群れから追放され、飢えて死ぬ(勝手にナワバリの食料に手をつけたりすると袋叩きで殺される)から、猿こそ社会性を捨てられないわけで。自分が出来損ないだと思ったら、人を恨むんじゃなく距離感を確かめながら隠遁生活をするべき。人付き合いから離れたからといって快適に生きられるかはわからないし、かなりの努力も必要だと思う。それが嫌なら自分を変えていくほかない。都市は人類最高の発明だからね。人と人が集団生活するのは、本来もっとも効率的なんですね。その発明を捨てるなら、覚悟が要るよねって。
別に無理して明るく振舞って「チョリース!」とかいえって話じゃなくてさ、社会の縁辺部には乗っかっておこうと思っとけという話なんです。人を見たらバカだと思い、見下して笑う習慣をやめなさい、と。別に私は明るい人が好きだとも思わないけれども、人を見下している人とは付き合いたくないなとは思う。これって性格が暗いのとは別問題でしょ。暗くても、朴訥(ぼくとつ)でも、根っこがあたたかな人や、清らかな人なら付き合いたいと思えるけれど、暗くて性根が腐っていたら近づきたくないじゃない。それは明るかろうが暗かろうが、コミュ障だろうが、むしろあなたの性根が腐っていても同じでしょ。同族嫌悪も発動するだろうし。
社会との繋がりは最低限持っておいた方が
私は「僕、私、隠キャなんです。コミュ障なんです」って人、おおいに歓迎です。苦手でもなんでもないし、自分自身、無理に明るく振る舞うのが嫌いですから、隠キャだなんだで爪弾き食らってる人のきもちはよくわかります。どうしても人付き合いが嫌で、陽キャにはとてもなれないっていうなら、私みたいな半分隠遁生活で社会の縁辺部に座ってる奴を上手に使って社会との関係を保つことです。冒頭部に戻りますが、人を恨んだり、陽キャを嫌ったって世の中なにも変わらないし、自分も不幸になるだけ。上手く使ってください。社会と繋がれるツテを。隠キャ同士でも繋がれば色々できたりするんですから。
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