日本は素晴らしい国です。2次元や、3次元のDVD映像、マンガ、ゲームで性欲を満たすくらいなら、私達の体で性欲を満たしなさい!と、それ何てエロゲ?みたいな事を言ってくださる国ですから。ええ、最大限阿呆な曲解をしてみました。しつこく規制ウンヌンの話題です。
性的なコンテンツを減らせば、強姦などが減る。
という妄言が間違いであることは、40年代に週刊誌が発行され始め、後にAVが普及したことで強姦が激減したことを見れば分かること。統計的に明らかと言っても問題は無いのではないかと思っています。
性的なコンテンツが強姦を助長するというのも、科学的データはありませんが、間違いでしょう。
類人猿は、性交の仕方を習いますか?彼らは強姦、乱交が基本です。
日本もかつては乱交の国でした。村一番の美人の家には村人が入れ替わり立ち代り…。
という逸話も残っています。この文化が崩壊したのは西洋の規範意識が流入した為。
簡単に言えば西洋かぶれです。西洋の倫理、責任、意思というものを十分に理解しないまま、無理やり日本にねじ込んでいるから無理が出る。かの西田幾多郎大先生が今の状況を見たらどう思うだろうか。日本古来の、東洋的な思想をものの見事に捨て去らんとする現状を。かの大民俗学者、柳田國男氏が見たらどう思うだろうか。自分があれだけ賢明に論じたのにも拘らず、また現代人は庶民の、低い位置から湧き上がる習慣、文化をないがしろにする無知な人間に戻ろうとしているのか。と、落胆されるのではないか。
まあ、その辺は奇特な専門の先生に任せるとして、性コンテンツが性犯罪と直結させるのは問題だと言っているわけです。類人猿は性行為を教わりません。他の動物も同じです。動画を見て覚えるのは動物園のパンダくらいのもの。つまり、生命体としてこの世に出てきた時点で、性交を知っているわけです。性コンテンツを遠ざけるということは、強姦が減じる(いかがわしい性交が減る)事に結びつきません。それどころか、逆に増加、悪化を引き起こす可能性があります。
【ここで新提案】
今までの、
・性欲は男性なら先天的なもので処理しなければ代替物を求める(現実の女性)
・犯罪者がゲームを好むのか、ゲームが犯罪者を生むのかが未検証
という今までの批判とは違う視点の批判をしてみたいと思います。
人間は社会を形成する動物です。社会を形成する以上、社会を円滑に運営するために尽力しなければなりません。そこで有効なのが性コンテンツであると私は考えています。人間が高度な生活を送る以上、常にパートナーが居て、自分の性衝動が解消できるとは限りません。その代替品として時間を気にせず使える他、性交とはどういうものなのかを正しく伝える教材としての効果も期待できます。
もちろん、強姦物や陵辱物の作品は、一般常識があり、それ自体がいけない事であるという認識がある人以外には売るべきではありませんが、そう思っていない人にも必ず「犯罪行為」である事を十分に認識させる装置を用意すればいい。ここが妥協点ではないか。この国から完全に消すということは、即ち世の女性が身代わりになっていただく事になりますが。それを止めるための法改正なんでしょう?悪化させてどうするのか。
また、人間は高度な動物らしいので、性交もまた文化であり、技量が問われます。
私自身あまり経験が無いので語るほどではないのですが、性交までの過程や、行為、会話など、現実的な物から理想的な物まで「知識」を得る事が出来ます。そして、この知識の有無で充実した人生を送れる場合もあるようです。だとすれば、この知識を否定する必要は無いのではないか。よく耳にする、「ガキの時河川敷でエロ本拾って~」と言う思い出話に代表されるように、実際は10代前半~中盤で成年向けコンテンツに触れるものです。人間は性交をするわけで、その現実は覆りません。つまり、性コンテンツを遠ざけて隔離してしまうよりも、方向性を誤らない程度に適度に与えている方が良いのではないか。無菌状態ではなく、ワクチンを投与しておいた方が子供の為にも、将来の為にも良いと私は考えます。
【閑話休題】
私自身、もっと早くに知っておくべきだったと後悔するくらいです。
かつて中、高校時代に大失態を犯している為です。体格差や正しい体位、未経験者同士の場合に起こりえる問題点のFAQでもあればと。ふたりエッチをもっと早く読んでおけばと。今、女性を遠ざけてしまうのも、この時のトラウマだったとしたら、人の人生を変えっちまうわけで、性コンテンツの有効で建設的なな利用法を考えて欲しいと切に願います。哀れなモンですよ。
【了】
さて、話題を元に戻しまして、私の経験上、成年向けゲームの多くは性交しても子供が出来ません。これは問題視されてもいいかもしれません。かつて、妻みぐいというタイトルがありましたが、このゲームでは避妊具を持っていないと性交をパートナーが許してくれませんでした。こういった駆け引きといいますか、ゲーム性の中で、性とは何か、リスクとは何か?を擬似的に体験できるようなタイトルであれば、有効に利用も出来ると考えます。強姦や陵辱のリスクを考えさせられる作品ならば、そういった教育的側面があれば、少しは許せるのではないか。
今、規制派が謳っているのは、青少年への影響です。
青少年への影響ってどういうことなのか。性コンテンツは18ないし20歳以上向けだろう。
そもそも、持っている事が大問題。先ずは持っている事を取り締まるべきで、作っている事を取り締まるべきではない。しかし、完全に排除は出来ないし、排除すると今までつらつら3年ほど書き続けてきた問題があってよろしくない。じゃあ、ただしく付き合え。病気が怖いから無菌室から出ない。それでは人間としてやっていけんのです。犯罪はどうしたって一定数出てきます。それを減らすことは出来ても、ゼロには出来ない。減らす手段としての規制は、間違いだとすれば、本当に社会を良くしたいのならば(彼らは社会派という宗教集団なので目障りな物を消せれば社会なんてどうでもいい)、潔く手を引くべきでしょう。
犯罪者の考える事を理解した風な言説が多いけど、旦那や嫁、息子の気持ちも分かりやしないのに、何で分かったような事を言うのか不思議でならない。絶対に分かり合えない生き物じゃないのか。分かってしまうほど我々は単細胞だったか。ちょちょいと面会して、その日の気分で出したような分析結果が、一体何の役に立つのか。そんなに我々は薄っぺらだったか。そんな簡単に行為が理解できたら、哲学なんてとうの昔にくたばってるつーの。
どうも、頭が悪い事実に気付いてないおバカさんが多い気がする。
どうして彼らは「本当にこれで良いのだろうか?」と思い返せないのか。
一度決めたことは絶対に正しい。例え間違っていても過去を振り返る事はしない!
と、固く心に刻んでるんですかね。
自分なんかは矮小で愚鈍な小心翼翼たる人間ですから、常に振り返り続けてますが…。
ちょっと自分の中でエアディベートすれば分かる事って沢山あると思うんですがね。