ネットは当面退化する
ネットは自由だからおもしろい。
制限するなんてとんでもない。
私もずっとそう思っていました。もちろん、いまでも総論としては自由であるべきだと思います。ただ、自由を履き違えている人間も目につくようになりました。「自由=何をやってもいい=犯罪もOK」みたいな。で、誰もが不快に感じる世界がやってくる。
ネットはちょっと普及しすぎたんですよ。で、これからまだまだ普及します。するとどうなるか。とてつもなくおもしろくなくなるんですね。
ネットと実社会の同一化
ネットが普及するとどうなるか。実社会とイコールになります。ネット上にいる人間と、実社会にいる人間が同じになっていけば、いままでと違って、おそろしくツマラナイ奴がネット上に人格や人権を獲得して、救いようがないほどツマラナイことをいいはじめます。で、ツマラナイ情報に押し流され、埋もれて、なにもかも台無しになるわけです。最悪です。
わざわざいうまでもありませんが、私が「ツマル」人間だなんていいませんよ。おもしろい人間じゃないと思います。でも、「街でネルシャツ着てる人がいました」とか「彼氏からLINEが返ってこない」とかいうどうしようもない十数文字のブログ書いて検索の邪魔をしたりする奴しかいなくなるわけですよ。検索サービスにだって限界があります。無料ブログサービスはこのくだらない投稿でもってドメインが肥えふとり、本当におもしろいことをしている(私じゃない)誰かの投稿を弱小だとして蹴り出します。こうしてネットはゆるやかにツマラナクなり、実社会と同じになっていくんです。
もう、ネットに期待しちゃダメです。
ネットが実社会よりつまらなくなる
ネットと実社会が近づいていくとツマラナクなるわけですが、今度はネットが実社会よりツマラナクなる時期がくると私は考えています。どういうことかといえば、ネットには実社会ではさらけ出せない特殊性を発揮できる場所だという点が悪影響を及ぼすわけです。
ネットの利用者が実社会の人口に近づけば近くほど、ツマラナイ人間が増えます。むしろ、後から参入してくる人間ほどツマラナクなります。で、彼らはそもそも才能を持っているわけではないので、ネット上にツマラナイ極端さ、ツマラナイ特殊性を発揮します。平たくいえば、悪意を撒き散らすということです。匿名であることをいいことに、従来は自分のなかにとどめておけばよかった感情を、世間に投げつける。
かつてはこういう人間を「スルー」することがよしとされていましたが(もちろん、全員が実行できていたわけではないですが)、いまはそうではなくなっていますよね。おかしなこと、悪意あることに向かって反応する「ツマラナイ」人間が大多数となってしまったので、古参のネットユーザーがいくらスルーしたとしても、SNSやネットニュース、RSSなどに、嫌というほどこういう話題が出てきます。ブログのコメント欄で寿命が尽きるまでケンカするつもりかよって人たちもよく見かけるようになりましたよね。見たくなくても見てしまう。すると、古参ユーザーやおもしろいユーザーがネットを活動の場だと考えなくなっていくと予想できます。
悪・正義・エロだけの世界
いま、ネットは「悪」「正義」「エロ」ばかりです。昔もそうだったといえなくもないですが、それは実社会とは少し離れた色彩を持っていました。しかしいまや、メディアや政党、個人までもがSNSなどを使い、ネットと実社会がそっくりそのままイコールになって、悪は実社会以上の悪、正義も実社会以上の正義、エロも実社会以上の……これは昔からですが、極端に表出するようになってきました。
これが不快でどうしようもないわけです。ネットが変質することに怒っているというのも多分にあるんですが、それだけではありません。ネットの自由を、極端に強められた「悪」「正義」「エロ」だけで埋め尽くし、それらを守ることがネットの自由になってしまうことに怒りを覚えるんです。
ネットの自由ってそういうことだったんですか? ネットは自由で、カオスだからおもしろいというのは事実ですが、上記の3つしか見当たらなくなったいま、カオスですらないんじゃないでしょうか。3つしかない。カオスにもならないと私なんぞは思うわけです。こんな世界を守ったところで、表現の自由も言論の自由もないでしょう。単なるバーチャルな戦争の自由でしかない。なんの建設性も持たないスラムですよ。
ネットは旧メディアと同じ道を歩むか
すでに気づいていらっしゃるかたも多いと思いますが、もはやネットはツマラナイ人間がわらわらと寄ってくるだけの場所になってしまったので、本当に才能がある人間からすれば、実社会で人に会って直接握手するほうが手っ取り早かったりします。ネットを通して世の中に才能を見てもらおうとすれば、批判されたりパクられたりして心が萎えるので、先に実社会の方で確固たる地位を作ってしまおうというわけです。ネットが普及し、ツマラナクなったからこその揺り戻しでしょうね。
ネットは町内会化して落ち着く
将来的に私は、ネットはどんどん小規模化し、ムラ化して、町内会のようになっていくと睨んでいます。もちろん、その先に小さくなりすぎたからまた大きくなってみようという段階がくるでしょう。でも、当面、数十年は小型化していくはずです。
旧来の大手メディア、新聞やテレビなどは、コンテンツホルダーにとって、もはや広告宣伝ツールでしかありません。それと同じように、ネットも「悪」「正義」「エロ」に食らいつくツマラナイ連中を釣り上げるための釣り堀になっていくと思うんです。
で、その一方で単にツマラナイだけじゃない人間は、小さく、小さく、ムラ化して暮らしていく。外から見えないようにして、邪魔が入らないように柵を立てて楽しむわけです。
さいごに
せっかくなにもかもが白日のもとに晒されて、広大なネットのフロンティアに自由を見た我々ですが、そういう段階は終わったのではないでしょうか。今後、ムラ化が進んで、町内会の回覧板のようにしか情報がまわらなくなったとき、我々はどうやって価値ある情報に触れればいいのか。大きな課題です。必死に探してどうにかなるのか、情報を隠すことが不可能な仕組みができるか、それはわかりませんが、いままでのように気軽で手軽で、自由なネットは消えていくことは確実なのではないか、と思うわけです。
3種しかない「ツマラナイネット」と「ムラ化問題」
みなさんはどうお考えになりますか?
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