最近あまり本を読んでないなと思ったら、案外買っていた罠。ここ3日で新書1、専門書1なので、3000円の出費。買ってるけど読まない場合が多い。読むだけの価値が無いものをわざわざ集めるクズ新書ハンターなのが問題だ。
新書関係は、
『サブリミナル・マインド -潜在的人間観のゆくえ-』下條・中公新書
非常にあっさりしている。読み易い。ただ、掘り下げて欲しい箇所があまり深く書かれてなくて残念。入門書と言うより、アタマの部分だけ触れてみせたという感じ。それでも難解な哲学書を睨みつけて投げ出すよりずっと良いと思いますよ。自由意志について基本的な部分と、責任についてどう考えるのか?というキータームを刑法学と哲学との関連と一連の流れを知りたかったので購入。殆ど載ってない。もうちょっと内容を確認してから買うべきでしたかね。人間行動学の本で気になる部分は穴埋めしておきました。
『景観形成と地域コミュニティ』鳥越・家中・藤村・農文協
3000円くらいする。で、景観って言葉を軽々しく使い過ぎ。地理学者の景観という言葉の重みと、社会学者のソレの差を痛感する。景観とか書いておけば人気出そうじゃん?とか、そういうキャッチーな単語としてくっ付けただけな気がして仕方が無い。地理学的景観は、写真で切り取ったような物を指さない。昔ながらの田園風景や、それにまつわる物だけを指す、懐古精神溢るる「景観」なんて偽モンだ。軽々しく口にして欲しくない。
景観は、風景ではないという事
これさえ分かってない環境学者や社会学者が地理学の用語である「景観」を、「scenery」等と取り違えて訳しているのには腰が砕ける思いだ。本来、景観とは、「Landscape」という言葉を日本に輸入した際、最も適当な訳語として用意されたものであって、元々あった「風景」とは異なる。異ならないなら「景観」などという単語は要らないわけです。
sceneryは訳せば分かりますが、舞台背景の事です。つまり、ハリボテの書き割り。ごくごく一面的で平面を指します。対してLandscapeは、眺望や造園を表す、広い視野を含んだ単語です。
景観は、歴史的景観や文化景観と言えますが、歴史的風景や文化風景では違和感があります。少なくとも私にはある。歴史的景観とは、数百年前から受け継がれてきた巨大建造物や街並みを指すと容易に想像できますが、歴史的風景となると、今現在この瞬間が江戸なら江戸時代であって、ナマで見ていないと成立しない言葉です。○○の街は歴史的な風景を色濃く残す。と言われると違和感があるのはその為です。また、文化風景に違和感があるのも、時間の経過を取り出せないという理由の他にも、風景には人や宗教、生活様式を含むことが出来ない為です。
今の生活はダメだ!昔の生活は良かった!農村万歳!とか言う連中が、格好をつけ損ねて失敗した良い例です。景観とは何か?を真剣に考える事も出来ない人間に、文化や生活、街の在り方を語って欲しくない。環境学なんてもんが存在してなかった時代に学生やってて、最近流行ったもんだから飛びついた学者の先生方が教壇に立つと大概こうなる。という好例。本だから売れれば良いんでしょうけどね。売れてナンボな書き方をすりゃいいのかな。研究っぽくても。