たまにはこういうのも良いでしょう。私の人生を決定付けた言葉。私が地理学を学ぼうと決めたのは、この言葉があったからこそ。高校時代の地理の教員から頂いた言葉です。
山葵の華は小さく可憐な花を咲かせます。ワサビ自体が水が清く、極めて洗練された空間でのみ育つ植物です。対して蓮の花は鮮やかさ、美しさはありますが、大きく冗長で、不気味ですらある。しかし、山葵と違うのは、その力強さ、存在感です。
腐臭を放つような池や沼にも力強く咲き、誰もが見て理解出来る独特な大輪の花の存在感は、山葵の比ではありません。山葵の「華」としたのはここにあります。いかに清らかで日本的な奥ゆかしさを持っていたとしても、限られた環境、選ばれた環境の中でしか花を咲かせられないような人間にはなってくれるな。どれほど困難で、劣悪な環境でも、他人に何と言われようとも、圧倒的な存在感を示せる。そんな人間になれ。
この格言にはこういった意味が含まれています。
この言葉を与えてくれた教員は、10年間教員採用試験を受け続け、採用試験の規定する最高年齢一杯になってやっと採用を勝ち取った人物です。ほぼ無職で、家庭も持っていたのに教師になるべく鬱屈した日々を送っていた。家族がそれを支え、時には魚河岸で働き、朝から晩まで血の滲むような努力を繰り返した。だからこその言葉だと思います。
私の周囲には何せ、人生の敗者復活戦から見事に勝ちあがった人間が多い。
彼ら蓮華の言葉は、何もかも与えられて育ってきた山葵とは違う重さがあります。