皆さんは、マイケル・ムーア氏が監督をし、大きな波紋を呼んだボーリング・フォー・コロンバインを覚えておられるでしょうか?別に私は運動家でもありませんが、高校が人権問題として取り上げ、放映していたためにたまたま見る機会がございました。そこで今回はそ記憶をもとに綴りたいと思います。
ではではいってみましょうか!
ボーリング・フォー・コロンバインの中でこういうシーンがあります。そのシーンとは、日本で言うところの警視庁密着24時のような番組編成についてを描いたものです。ドキュメンタリーですので、描いたといってもノンフィクションですが。
その中では当然、日本同様に逮捕劇が映され、流されます。数人の警察官が犯人を足蹴にして取り押さえる。そのシーンは日米問わず、視聴率が取れるのです。何故か?それは生の勧善懲悪ストーリーだからです。
水戸黄門をはじめ、プロレスに至るまで度合いは違えど、悪役(ヒール)が存在し、それを颯爽と正義の味方が現れ退治するのは誰が見ても理解でき、エンターテイメント性が高いですよね。ガンダムみたいに敵にも正義があり…云々をやろうと思うと数時間では収まりませんし、まどろっこしくて飽きる人が出てきますしね。
しかし、ここで問題が。数人の警官が足蹴にして取り押さえられている犯人。ここにあります。この程度の文章では伝わらないでしょう。私も最初映画を見たとき、ありふれた逮捕シーンだと思ったぐらいですから。
何が問題なのか?それは、再三流れる逮捕劇中で足蹴にする警官の肌は白く、地面に叩き付けられる犯人はものの見事に肌が黒いんです。私はこのシーンを見ていて、指摘されるまで違和感を感じませんでした。これは一般人がオタを叩くのにも通じるのではないでしょうか?
というのは、アメリカでも凶悪犯罪が起きるとすぐに黒人がやったのではないか?という噂が流れ、報道機関もそれを後押しするような場合があるそうです。そしてそれを見ても市民は違和感を感じない。黒人だったらやりそうだな。そう思ってしまう。実際、黒人と白人の犯罪比率は同じ、もしくは白人の方が高いくらいだそうですよ?にも関わらず、そういった報道が当然のようになされ、市民も疑問を持たない。
今のオタバッシングと似ていませんか?幼女誘拐殺人。オタクだったらやりそうだな。オタの犯罪率の方が低そうなものなのにこれが世間に認められる。
加えて、テレビ局にムーア氏が取材を行った部分に触れてみたいと思います。
ムーア氏「なぜ逮捕劇は黒人中心なんですか?」
TVマン「その方が数字がとれるだろう?白人が取り押さえられるシーンなんて誰も見たがらない」
ムーア氏「それが間違った報道でも?」
TVマン「うん」
こんなやりとりだったと思います。なんせ英語でしたからねえ(汗
つまり、数字なんです。何を言おうとも数字。外見ではそんな偏った報道はしません。数字にこだわりません。といいますが、実は全くの逆。数字を相手にしない民報はすぐに死にます。
どうしてか?それは、数字を気にしない中立報道をしても誰も見ないから。真実を淡々と述べるだけでは絶対に見てくれない。脚色やストーリー性でもって視聴者のニーズにこたえなければ、広告収入がえられないから。間違った報道でも数字が取れれば良いんです。アメリカの報道局がそうで、日本がそうでないという理由がありませんし、これは日本にも当てはまるはずです。
オタを叩けば金が出る。オタを擁護すれば自分もオタと思われてしまう。こういった人種差別や集団心理、集金問題からオタは槍玉に挙げられているのです。
アメリカのホームドラマや映画では同じ職場に白人や黒人が入り乱れていますが、ムーア氏に言わせるとあれはフィクションだそうです。白人は白人と、黒人は黒人とという交友関係しか持てないのだそう。一般人は一般人オタはオタみたいな感じなんでしょうかね~。
では、今回はこの辺で。毎度駄文にお付き合いくださる皆様。本当にありがとうございます~。
まさにアメリカの縮図だなって方は是非ワンクリを~。
人気ブログランキング ←ぽちっと押して下さると、狂喜乱舞します
現在TBはTBスパム対策で、リンクのある方のみとなっております。申し訳ありません~。
【関連記事】
オタファッション批判のコアって何だろう
…この記事単独で3000ヒットです。ありがとうございます!
コメンテーターは未熟?報道批判かそれとも…
教育テレビが教育に悪い件
10代しゃべり場を見てて思ったこと
IT企業誘致に一石を投じる?
宮崎被告の発言と報道の関係