アダルト産業主に2次元への規制論議は収まることなく連綿と続いています。そういったアイテムがあるから若者は犯罪を犯すという発言は止まりません。昨今では殺人犯の近隣住民や友人にインタビューすると、内向的ではなかった(だった)、オタクではなかった(だった)、根暗ではなかった(だった)という価値基準が定着してしまいましたしね。
さて、オタク(根暗、不細工、ひきこもり、ニート等とも結び付けられる)が悪い事をしているに違いないという否定はまたの機会にするとして、今回は言い古された感じもありますが、アダルト産業と犯罪について考えてみましょう。
とはいえ、答えはもう出てますがね。アダルト産業と犯罪はほぼ無関係という答えが。アダルト産業と密接に関わっていそうな重大な犯罪といえば強姦罪です。皆さんもご存知の通り、強姦罪は激減しています。昔に比べて泣き寝入りの数が減ってきたといわれているにも関わらずです。
昭和30年代において潜在的な強姦を含めれば現在の8倍以上はあったのではないかという話しもあります。以前は警察に言っても「処女じゃないんだからいいじゃないか」などと言ってあしらわれていたわけですから、警察に言わない被害者、警察に言っても取り合ってもらえない被害者の2種類を含めるとどれだけ強姦罪が増えるか分かりません。
この時代に存在するアダルトと言えば、現代で言うグラビア誌や週刊誌程度のものです。これらは性的な表現を含んではいますが、性を充足させるには足りない存在であったと私は考えます。つまり、これらは性欲の起爆剤であったと言えます。
しかし、現在氾濫しているアダルトはどうでしょうか。AV(といっても主流はDVDですが)は十分性欲を満たす存在であり、2次元のエロも同様です。また、エロ目的で2次元のアイテムを買っていない人も居る訳ですから、アダルト産業の勃興が即現代人の性を歪めているという論議に持ち込むのは早計というものです。
現代のアダルトは性欲を十分に満たす事が出来るため、性の起爆剤であると同時に性の処理剤であると言えます。性の起爆剤でしかなかった以前のアダルトでは、起爆されてしまった以上、どこかで発散されなければならない。その対象が現実の女性だと仮定すれば、強姦罪が爆発的な伸びを示したことも理解できる気がします。
昭和20年には少年による凶悪犯罪(強姦のみ)が約250件だったのに対し、25年には約1500件、30年には約2000件、35年には4500件を超え、40年には少し収まり約4300件、45年には2500件と急激に減少しています。現在は500件を割っています。
昭和20年頃は戦争の関係もあり、元気な男が居なかったと推察されますが、その後若い男が街に溢れれば強姦が増えること増えること・・・。際限なく湧き出ています。昭和45年頃に強姦罪が激減しだしたのは週刊ポストのような性的により高度なアイテムが登場したからだと仮定できそうですね。その後大衆週刊誌(性的な物を含む)が大量に創刊され、各社凌ぎを削るようになってからはグングンと順調に強姦罪は減少して行きます。
1980年頃には一般家庭にビデオデッキが普及し、本格的にAVの家庭への流通が始まります。昭和60年の少年による強姦罪は約750件、この当時はAV業界で淫乱ブーム、巨乳ブームが起こり、ビデオが主要な記録媒体として定着しきった頃でもあります。この後、平成2年に少年強姦罪件数はほぼ下げ止まり、平成7~8年頃には昭和20年と同水準にまで激減しました。これはもちろん統計上で、昭和20年にはもっと多くの潜在的強姦があったかもしれません。
ここまで長々と語って参りましたが、答えはやはり「規制ではこの国を救えない」です。多くの大人や識者が心の教育・・・即ち、倫理観や道徳観の教育を論ってますが、そんなものはたいした効力を持たないことは証明済みと言ってもいいでしょう。戦後の教育勅語を賜った団塊の世代が昭和30年代に窃盗、殺人、強姦とやりたい放題である事を見ればわかります。
人間は食うに困れば何でもします。性処理に困れば強姦もするわけです。少し暴論気味ですがw
しかし、彼らはこう言い訳をします。「戦後は食べるものがなかったから仕方がない」などと。ですが、考えてもみてください。彼らはテレビで、「どんな理由があろうと犯罪に手を染めた奴は許せない」と平気で発言しています。自分の事を棚に上げて発言する皆さんの倫理観を鍛えてから出直していただきたいものですね。
道徳的に間違っているからアダルトは駆逐すべきだとする自称『人権派にして常識人』の皆さんに私が送る言葉。それは、『毒を以って毒を制す』