八百長は、自信の地位を守る為、力士が独断で身銭を切って行っているのでは?というのが一般的な感覚ではないでしょうか。八百長の有無については分かりかねますが、「興行」として成功させたいならば、ヒールを負かすヒーローを用意するのが基本です。つまり、ヒールやヒーローは本人の思いとは裏腹に勝ち負けを決められていることになる。
もしも、八百長があったとするならば、それは両者共に悲しい事ではないでしょうか。
最近は、なかなか陥落しない日本人大関に対して「八百長ではないか」と指摘する人間も居ますが、テレビや升席で応援している人達は「日本人」大関の勝ち負けに一喜一憂しています。日本人だから応援されているのです。
興行に重きを置けば、こんな役者を協会が捨てるはずがない。何としても残そうとする。
朝青龍(ヒール)に対して白鵬(ヒーロー)という構図を作ろうとしたのかもしれませんが、どちらも強過ぎた。さて、モンゴル人、外国人ばかりじゃないか。人気が落ちる。と言っても、彼らに厳しく出たら(朝青龍をしかりつけられない、引退勧告を出せない)何を暴露されるか分かったもんじゃない。
現に、こういった興行至上主義はあの偉そうな「横綱審議委員会」にも見られます。
かつては7場所連続休場した横綱貴乃花。12勝しなければ引退だと鼻息荒く連呼していたのに、最初の5日くらいの間に2敗したらば、途端に「今場所は勝ち越せば許す」などと言い始める始末。結局、日本人横綱が居なくなる事が興行と個人的に怖かっただけではないのか。
また、土俵上(ガッツポーズ)の品位や土俵外での行動についてヒール側を酷く痛めつける。横審の委員は既に好事家集団であり、審議委員だの、好角家(相撲通)だのと言える立場に無い事は、少し調べれば分かる。白鵬も同様にガッツポーズや取り組み後の挑発(睨みつけ)、土俵外でプロレスラーに逆水平(プロレスの試合を観戦に行った際にレスラーが観客席に乱入して…というファンサービスの一環として白鵬に近付いていった)…などを行っているが、絶対に批判されない。彼らの個人的な好き嫌いでしか物事が見えない、赤提灯の酔いどれに同じなのである。
先場所(平成二十二年初場所)も、白鵬が脆くも連敗した際には集中力が足りていない、何かあったのだろうか?等というのが角界上層部の批判の限度で、同じ結果だった場合、朝青龍や他の力士(特に琴欧洲など)にはどれほど辛辣な言葉が飛ぶか分かった物ではない。日本人大関が負け越してもカド番頑張って!みたいに言うのにさぁ。いや、私も頑張って欲しいんですが、それは人種で判断すべき物ではないでしょう?取り組み内容が面白い力士だからこそ頑張って欲しいのであって、日本人だからじゃあない。(今場所は場所中に朝青龍が問題を起こしてくれて良かったですね)
こういった品位を疑うような自称有識者集団は、人種差別集団であることも押さえておくべきだ。興行的に成功するには「日本人」であるのだが、横綱昇進は基本的に、品格があり、2場所連続優勝かそれに準ずる成績である事と定められている。
しかし、日本人大関が優勝した場合は、翌場所12勝でも横綱に…といった甘い空気を出すのに対し、琴欧洲や日馬富士に対しては、翌場所高いレベルでの優勝をすれば…などと言ってしまう。実際に、横綱を倒した上で14勝ないし全勝でなければ横綱昇進は(下位力士への敗戦や13勝では)認めないといった内容の談話を発表している。(確か琴欧洲の綱取りの際)
つまりは、横綱を審議し、角界を斬る連中を「審議」する必要性があり、
興行的、ひいてはメディア的に面白い方向に大相撲をしていこうとする角界の体質、
特に上層部こそ腐り果てていると言えるのではなかろうか。
そんなに外国人力士が嫌いなら、堂々と「国技だから外人は出て行け」と言えばいい。
表面的に取り繕って、人権を守っている風を装うのが鼻持ちならない。
角界を変えたいならば、こういった連中を掃き捨てるところからはじめてはどうか。
ためしに私を横審として2期4年選んでみませんか。若輩者が年寄りをさんざバカにして、皆さんが横審をやめたくなるように仕向けてさしあげますので。
というのは冗談ですが、今足りないのは、公平な目で角界を見つめられる人間です。
あながち、私のような何も守る物が無い馬の骨を入れるのもアリかもしれませんよ。
【関連記事】
・「大相撲は面白くなくなった」という妄言
かつて大学側の書店で購入し、参考にした新書。
横綱はけたぐりをしてはいけないという「横審」のような意見は無い。
全ての取り組みで最善を尽くす。その為の技術を持つこと、技を持つことを責めるのであれば、舞の海をもっと責めておくべきではないか。未だに意味の分からん解説を連発し、朝青龍が負けたら相撲を勉強しなおすとか言っておいて、結局しないし。小結風情が…と言われないのはひとえに小柄な日本人だからなんでしょうね。時天空の足技なんかには散々非難が集中したりしますもんね。
それどころか、大柄な外国人力士の力に物を言わせた相撲を批判したり、そうかと思えば大柄力士が緻密な計算と小技で勝つと「相撲が小さい」などと言ってみたり。忙しいですね。ダブルスタンダードで。小さなナショナリズムを振りかざす方が、余程下卑た品格を欠く行為だと私は思いますが。
と、ここまで書くのは、私も大柄(最大183cm、今は182前後で100kg弱)の巨漢で、とんでもないプロレスラー体型であるが為に偏見や非難を受けてきたという過去があるからであったりもします。正直に話せば。
体が大きい=頭が悪い、粗野で粗暴
俺の事を見下ろしやがって…みたいな臭いをプンプン出す面接官を何人も見て来ました。
「(こんなまともな大学に入ってるのは)野球?柔道?…か何かなんでしょ?あ、ラグビー強いよね」
とかですね。色々言われてきましたよ。「ヒール」を作りたがる日本人によって、
辛い目に遭う人間が居るという事が見るにしのびないんです。
私怨も含まれて居ますが、まあ、言っている事自体がそう的外れでもないのなら許されるでしょう。