ある方と話していたのですが、就職活動で上手く行かない事を、誰かのせいにしたり、合格した人間を否定したりする人が居ます。こういう人は不合格になる人間なんだそうです。私もそう感じます。「様々な能力で勝っているのに、なぜアイツが?人事に見る目がない!」と言う人は、あまりに厚顔無恥です。
自分が負けたということを理解出来ていないわけです。運でも何でも構いません。何らかの要素で自らが負けた。自分に能力がないのです。能力が足りていないのを棚上げして、合格者や人事、重役を逆恨みするのはお門違いです。また、そんな事を言っているから落ちているとは考えられないのでしょうか。そんなに頭がおよろしいのであれば。
世界でも有数の天才であるかのように立ち振舞うのであれば、夢をかなえたいのであれば、出版社に入るのではなく、出版社を作ってはどうですか。それほどの覚悟もなく、とりあえずスキルを身につけるために出版社に入って、それから…という下心を持っているから上手くいかないのではなかろうかと。
有名な企業に勤めたり、腹に一物持って社会人をやっている人達に話を聞けば、明確なビジョンを持っている事に気が付きます。社会で何をしたくて、何が出来て、何が出来ないかを熟知している。その為にはどう動いて、何を身に付ければいいかとかも分かっています。この自分の生きる道を、自分の能力と社会とを分析して明確に描けている人は、自分の望む仕事を得ているようです。
彼らは努力せずとも、ただ生きているだけで自分を成長させていく人種です(周囲はその姿を努力と認識するのですが、彼らは努力と思ってないようです)。結果として天職を射止め、天職だからこそ更に自分を磨き上げて行く。
難しい選考を通る人と、通らない人は、平たく言えば自己分析が出来ているかどうか。
自分を自在に操れる人が、難しい選考を通過して行くような印象を私は受けました。
超一流大学、素晴らしい経歴を持っているから通っているのではなく、自分を自在に操れるから通っているのです。努力することなく、自分を育て上げる力を磨いた人達は、学歴が自然とついてきますし、仕事でも良い結果を残すのでしょう。そして何より、人間的な完成度が高いので、どこに出て行っても恥かしくない。学歴をひけらかしたり、自分の素晴らしさを謳う事などもないのです。
面接会場で、「キミどこ大?僕はW大の法学なんだけどさ~」といきなりやる人はやっぱり消えていきますね。私に大学名を聞いてきて、「法政ですけど」と答える前に自分の学歴を出してくるわけですから、言いたくて仕方がない人なんでしょう。何度か選考を通過し、結果的に知り合いになった人が海外の有名大に留学経験があったとか、東大だったとかという事もありまして、そういう人は学歴の「が」の字も出さない。人間として本当に立派です。そういう人には負けても仕方ないなと惚れ込んでしまい、面接後には恥じ入るばかりということもありました。
ある50代の社長に言わせれば、自分が駄目である事を認められる人間でなければ通用しないということなので、就職活動で負けた相手を否定してまわる気骨のある人物よりも、自分の弱さを認められる強くて優しい人間の方が良いのかもしれません。グループ面接、最終面接などでは、そういう人間性を見ているでしょうから余計です。
ガツガツしているのはやる気がある人と言うよりも不和の元です。
私はサークルを運営していましたのでよく分かります。
また、俺は凄いんだぞ!と言う人は100%凄くありません。本当に凄い人を知らないだけですから。世の中を知らない困ったさんですので、トラブルメーカーとなります。自分の無能がバレかけると言い訳したり、暴れたりします。
そんな方が勉強などの能力的に勝っていても、就職活動で負けるのは、そういった人としての穴の無さを企業が重視しているから。私はそういう結論に達しました。私では社内の空気を悪くしかねません。和気藹々とやっている中でリクツっぽい事を言ったらばテンションを下げてしまうでしょうから。
そもそも毛色が合わないのです。そんな企業を受ける方が悪いと言えます。一流企業、大企業ほど色の無さを重視しますから、アクの強い人は勝てません。なぜアイツが?クソッタレ!というのは、企業についての無知をひけらかしているのも同義であったりします。自分に合う企業を探すか、自分を合わせるかです。私は2008年の時点で前者に定めました。
やりたいかどうかではなく、出来るかどうか。私が今からプロ野球選手になるのが「無理」であるように、このような酷い現実との乖離でなくとも、上手く行かない人ほどズレがある。やる気が重要視されますが、それは能力があって始めて必要になるものです。俺は大物になるんだ!と40代にもなってコンビニのアルバイトをしながら言っている。なんて人が居たりしますが、彼らはどういう経路でどの世界の大物になるか考えていませんよね?だからなれない。現実と自分の認識が甘い、乖離している人は自分を見つめ直すことをお勧めします。私も日々、見つめ直しっぱなしです。
編集、出版の世界を目指した立場から言えば、編集者しかやらない!と言う人の大半は、編集者以外の仕事を知りません。そして、編集者の仕事も知りません。受かる人はここが明確なんだと思います。私も苦労しましたから、明確なビジョンが周囲に比して無かったということでしょう。
金融や流通、メーカーといった仕事について研究もせず、出版社がどんなものかも分かってない。何となくカッコイイから、高給取りっぽいから、本が好きだから・・・といった中学生のような事を言っているのでは、合格はおぼつかないでしょう。即戦力を求める業種ならば尚更です。今から考えを改めます。では、いつ戦力になるか分かりませんから。人間性の矯正に始まり、仕事を覚えさせるのと、仕事だけ覚えさせるのと。どちらが良いか。言わなくても分かりますよね。前職が同業種で実績があれば、仕事も教えなくて済むので便利です。
こう考えれば、学歴が人を決めるのではなく、人格の素晴らしさが各種能力や経歴を獲得するのかもしれない。とすれば、学歴で選ぶというのも間違いではないように思えます。そこからベストな人格者を探し、人材を確保するというのが現実的で最善の一手なんでしょうね。
学歴で選びやがって!と吼えるという事が、自分の不出来を喧伝しているのかも?
と気付くまで、私も暫くかかりました。とりあえず、立派な人に会う事です。
井の中の蛙ではずっとそのままになってしまいますから。
自分の小ささ、(大きさでも構いませんが)を認識すれば、合格できる企業、自分に合った仕事が自ずと見えてくるはずです。夢と現実も区別できるようになるでしょう。それが社会人、大人になるという事です。悲しいかもしれませんがね。