ここで言う悪書とは、性や暴力を扱う本のことではありません。もっともらしいことを書いていながら、実は内容が乏しい、読み手について考えていない、明らかな間違いを含んでいるという、身銭を切るに値しない駄作の事です。特に実用書は以下の3つのルールから簡単に見抜くことが可能です。
先ず、「はじめに」の部分と、冒頭から本論に入ったところに目を通して下さい。
挨拶や自分語りの部分ではあまり判断が付きません。
その本の核心について簡単に触れるの冒頭部が一番判断材料として良い。
店頭でそこに目を通せば、その本がどういうものか判断できます。
【悪書を見抜くたった3つのルール】
1)馴染みのない言葉、意味不明な造語を持ち出していないか
先ず、テレビの事を「音声や効果音や活動する映像並びに静止画を表示する装置」だとか、「ティリヴィジュオン」だとか言い出す本は買うなということです。電子書籍の事を電子ブックスとか言うのは、他では差別化出来ない無能な著者が、自分は頭が良いんだぞ!と権威付けをする為にする行為です。本当に立派な著者は、難しいことも分かり易く、過不足無く語ってくれます。
そんな本を買わなくとも、きっと他にもっと良い本があるはずです。
その分野をその人しか書いてないなんて物は今の時代珍しい。
それどころか、特定の分野の権威が書く本ほどまともだったりします。
時流にのって売り逃げする為の本にこの傾向が強い。
面倒くさがらず、同じような本を店頭で探して見比べてみましょう。
いかに彼らの作った本が間の抜けた物か分かります。
ただし、分かり易く言い換えられない言葉を仕方なく使っている場合もありますので、そのあたりは皆様の目で確認して下さい。
2)無駄な表や概念的な妄想イラスト(図)を掲載してないか
何を言いたいのか分からない、この図要らないだろう?何度か読み返さないと本とイラストのつながりが見えてこない。こんな物が冒頭部に堂々と載っていたら要注意。著者がバカな証拠です。はりきり、勇んで自分の素晴らしさをアピールしている為です。こういったギミックを用いないと本に重みを与えられないのです。
自分の頭の中の「何か」を無理に絵にした物などが貼ってあったらば、そっと棚に戻して下さい。明確に可視化することで余計に理解できなくなる物も世の中にはあるわけです。彼らは自分の妄想が妄想であることを見抜かれないように、難しそうにしているだけです。
3)リズム良くページをめくれるようになっているか
これは少々難しい。リズム良くと言っても人それぞれですから。ですが、普通実用書、読み物を編集者が作る場合、読みやすくてドンドン先に進んで行けて、為になる物を目標にします。研究書などとは違い、何度も何度もページを戻って内容を精査、二度見したりという事は好ましくない。
にも関わらず、「え?何だって?」と思ってページを戻ったり、ダラダラと文が長ったらしくて中だるみしたりする本はいけません。どうしてこんな本になるかと言いますと、ひとつは編集者がその分野について理解しておらず、著者の言いなりになっている場合が挙げられます。
流行に便乗する本を作るとなると、先ずは良い本を書ける人を編集者は探します。そういう人が居ない、他の本を作っているとなった際、手頃な著者を捜します。その分野がどうだ、こうだなどはどうでも良くて、本が出て売り逃げられれば良いという場合ですね。出版社としてこれは本当に恥ずべき行為です。表紙に「Twitterで稼ぐ」と書いてあるのに、中を見たらブログやアフィリエイトの事が大半だった!などという本も中にはあり、流行に便乗して表紙を掛け替えただけの本が世の中には多数あります。こういう本は中身が貧弱になります。制作期間、編集、著者がダメですからね。
もう一つは、内容があまりにも薄っぺらで、厚みを持たせるために小細工をしたり、ライターが水増しする過程で無理解や薄めすぎた場合が挙げられます。これも、流行に乗って売り飛ばしたいとか、とにかく本を作って取次に流したいなどの思惑から出てくるものです。
いずれも、文章のリズムや読みやすさ、構成の妙が感じられない急増本です。
内容が難しいテーマを扱っていて、読むのに時間がかかるのではなく、興味がある分野の本であるにも関わらずやたらと時間がかかるといった場合は、リズムの悪さを疑ってみて下さい。こういう本に良書は先ず、ありません。
【さいごに】
悪書、良書という判断は私は実は好かんのです。1つは、自分の好みではないから悪書などという決めつけが横行するから。自分の嫌いな主張や主義、苦手な分野の本こそ読むべきなのですが、そんな人間は先ずいません。心を常に中間点に置いて、本を読める人間なんてごくごく少数です。嫌いな本は買わない。買っても否定するために買う。これでは何も変わっていないのと同じ事です。本を読む意味がありません。自分の知らない何かを知るために読むべきだと私は信じておりますので。
次に、売れる悪書と売れない良書があるからです。どんなに内容が良くても売れず、特定の読者層に受け入れやすい事実をねじ曲げた本が売れたりする。読者が無能だ何だと批判することは簡単ですが、編集者としてはそれは言いにくいのです。なぜならば・・・
第三の理由、売れる本こそ良書で売れない本は悪書だからです。これは編集者としての立場です。私個人の考え、私人としてと公人としての考えは別になります。ダブルスタンダードだとか、二枚舌と蔑んで頂いて構いません。編集者としては売れる本こそ正義であり、売れない本は悪なのです。
これは、編集者の能力不足ということになるでしょう。つまりは、私の才能の不足です。良い本を沢山売れるのが最良ではあるのですが、私が無能であるばかりにきっとそうはいきません。本当に恥じ入るばかりです。多くの編集者が苦しんだジレンマに私がはまらない道理が無い。良書とは何か、常に考える編集生活だと思います。
何が良いか、何が悪いかという曖昧な判断基準ではなく、全く新しい基準で本を語れればいいなと思う次第です。