親が「ちゃんとしたもの」を丁寧に、まんべんなく食べさせていれば、
その子の味覚は立派に育つのだといいます。つまり、偏食はしつけの問題でもあるのですが、
それ以上に親の食生活、つまりは経済状況、文化的背景といった「育ち」の指標なのです。
偏食が多い子は面倒な子が多いように思います。経験と偏見かもしれませんが。
大学時代に春菊を入れた鍋が供されたことがあったのですが、
「春菊が食べられない」「春菊ってなに?」といった輩の多いこと。
中にはここぞとばかりに「春菊の旬は春」だと食通ぶる致命的なのもおりました。
その中に春菊にまったく箸をつけない女性がおりまして、
ナンパなどという艶っぽい話ではなく、興味本位で声をかけてみたのですが、
女性は「旬ではないものを食べると、(鍋の中にある)旬のものに失礼だと思って」
と述べられ、世の中には素晴らしい人がいるものだと思いました。
旬の食材を差し置いて、旬ではないもの、露地ではないものを食べることを
「善し」としない姿勢は、食材への敬意、生産者への敬意、ハウス栽培などの
人間の小賢しさへの警鐘と、様々な想いを内包した上でのことではないかと思います。
仮に女性誌にコンパや食事会などのテクニックとして載っていたのだとしても、
あの言葉は育ちが良くなければ吐けんでしょう。
食事より腹のふくれる思いがしたものです。
ちなみに春菊の旬は冬。春に開花するから春菊。菊なんだから花を主体に考えるわけです。
もちろん一番美味しいのは開花のため、越冬のために力を蓄えている時期。
春が近付いた春菊は、花を咲かせるために茎を強く育て、つぼみに栄養を送るので、
筋っぽく、香りも貧弱になります。これからの時期、滋味に富む食材です。
『わたしのせれくしょん』
今回はタイトルにもありますように、春菊から連想できるものを集めてみました。
本物のおいしい春菊をというわけにはいかないので、
私の好きな春風亭昇太氏の落語、「力士の春」の一席が入ったCDをば。
春がふたつ重なりますね。春が待ち遠しくなります。
落語となりますと構えてしまいがちですが、元は大衆を笑わせるためのもの。
今でいうお笑い番組、コントと同じです。現代新作落語は言葉も平易ですし、
昔の話をするわけでもありませんので、純粋に「お笑い」として楽しめます。
後は春菊をいただくのによさそうな土鍋とハウツー本。一人鍋も悪くないですよ。
食材の取り合いもありませんからね。私の家は序列で食べるものが決まって
おりました。父の顔色を見て肉を食べたものです。
あとは春ちゃんのフィギュアなどを。実に愛らしいですね。
春になってNHKの気象予報で頻繁に登場することを願うばかりです。