見た目で判断してはいけない、ブサイクやデブを冷遇して、美形やスマートを優遇するのはいけない。ということになっています。ブサイクとしては、そうあって欲しいですが、実際はといえば、まあ、ね、といったところでしょうか。
人は見た目がなんとやら
春になると、新卒者が社会人一年目としてフレッシュスーツを着て街を歩きはじめます。よく、背広のセンターベントを切らずに着ている子がいて、窮屈そうだな、どこかで先輩に怒られるんだろうなと微笑ましく思うのですが、彼らはどうやって選ばれたんでしょう。
ある調査によれば、モデルの男女と、高学歴で顔が平均的(か申し訳ないですが……ブサイクな)男女を面接に行かせると、あっぱらぱーな(バカの)モデルたちが圧勝するのだそうです。真面目で優秀で、勉強のできる子たちが負けるのはなぜか。ブサイクだからです。耐えがたいことですが、事実です。
どうしてこんなことが起きてしまうのか。バカなモデルたちが、面接の際に基本的な事項にすら答えられなかった場合、面接官は「わからないことを素直に認めるいい子だ」と判断するのに対し、ブサイクだと「このバカが」で終わりになります。その反対に、ブサイクが難しいことに答えたり、話したりすると「知識自慢か」と反感を覚えるのに、美形のモデルが答えると「なんて博識なんだ」と思ってしまうというのです。これではもう、太刀打ちできません。なにをしてもブサイクはマイナス評価を受けるのです。たとえ計算ドリルをどれだけ解けるかという競争をさせ、ブサイクが圧勝したとしても、モデルの方は「この子はバカだけど、どこかの部署で使えないかな」などと人事は考えます。我々ブサイクに救いはなさそうです。書いていてへこたれそうです。でも、それでいいんです。だって、お客さんも取引先も、きっと人事と同じ様に考えるから。能力で厳密に判断というのは厳しいわけです。実社会では第一印象のよさがほぼすべてを決してしまうのですから。だったら、有利な方がいい。企業としても、生き物としても……。我々ブサイクが生き残るには、道化でも演じないといかん、というわけです。
美形死すべし!と思うブサイクの私にも流れる悲しき血
人は、まず顔を見ます。そのうえで着ているものを見る。ファッションセンスでもなんでもそうですが、ブサイクや体系が整っていない人は何を着ても低く評価されます。学校で制服があったなら思い出してみてください。みんな同じ服を着ているのに、意中の子は際立って見えたはずです。際立って見えた子の服は、とてもすばらしくも見えたはずなんです。おんなじものを着ているのに。
ですから、私はブサイクですが、顔で判断されることをことさら差別だ、人権侵害だとはいいません。私だって、人を見た目で判断してしまうからです。100万円のスーツでも、私が着れば吊るし売りで、モデルが着れば超オシャンティです。やり切れなさはありますが、そこを受け入れないことにはなにもはじまりません。受け入れたうえで、なにをするかなんです。たとえば、鍛えるとか。髪くらいは整えるとか。あとは中身や性格をよくするとかですか。無駄な努力ですけど、受け入れない連中に対しては無駄ではないですよね。一歩先んじることができるかもしれません。悔しさが込み上げてきますが。
じゃあ、何で判断すれば私(世間)は納得するのか
見た目で判断してはいけなくって、学歴や職歴、出身、門戸、血筋で判断してはいけないなら、一体なにで判断すればいいんでしょう。能力……ですか? でも、きっと、能力だって美形やスマートな人の方が上、ですよ。美しければそれだけで人当たりがいいことはすでに述べました。なにをしても高く評価されるので、お客さんにも好評でしょう。営業成績は高くなるかもしれません。また、体系がスマートな人ですが、すばらしい肉体を維持している人のほうが、していない人よりやっぱり努力家で、ナルシストなんてバカにされたりもしますが、肉体の美しい順に実務能力も並ぶんですね。ある会社で半年間、全社員にジムの利用費用を補助したところ、スマートな社員が一番ジムを利用し、次に成績が普通の中肉中背グループ、最後に成績が最低の太ったグループとなったと聞きます。私もデブですから、「そりゃあデブはジムで醜い体を晒したくないから行かないだろ」と反論したくもなりますが、仕事の成績に直接、間接、双方から体型って関係しているのかもしれません。だとすると、経験的に醜い奴は使えないと代々刷り込まれてきた人類が、見た目で判断してしまうことは、効率という面では正しく、一概に非難すべきものではないのかもしれません。
文化、習慣、遺伝子。歴史に裏打ちされたものというのは、なかなかに効率的なんですね。まあ、お互いがんばってい(生)きましょう。
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