犯罪に関して、善悪の判断ができていたかというのが争点となることがありますが、
では、善悪の判断とはなんでしょうか。あなたにとっての善とは。どこからが悪と思いますか。
私にとっての悪は、マンションなどのホール、共有部分で話すこと。各部屋に声が聞こえて、
大変に不快です。しかし、これが悪だと思わない人もいるでしょう。電車の中での飲食、
化粧、電話。これらは悪でしょうか。マナー違反であって、悪ではないという方も多いのでは
ないか。善悪の判断ということは、非常に個人的な問題なのです。
私のように神経質で、折目正しくすべての筋道を通さなければ許せない人もいれば、
人を殺すことになんのためらいもない人もいるわけで、善悪とはなかなか難しいものなのです。
ネットで自分の気に入らない書き込みをみつけたら、
直接関係なくとも、烈火のごとく怒りだしたり、
その書き込みをした人間を社会的に抹殺しようとする輩を時折見かけます。
はたから見れば、悪質な荒らし、脅迫犯であるはずの彼らですが、
彼らの中では、自分が善であって、それを寛容する集団が悪なのです。
善悪とは、かくも難しい。
自制心が極めて弱く、意志薄弱な人間、累犯障害者などと分類されることもある人々には、
基本的に善悪の判断以前に、行動の取捨選択の第一義が欲望であって、
欲望を満たすためだけに生きている。こういった手合いに何をいったところでどうしようもない。
では、放っておくかといえば、そうはいかないわけです。
善悪だの、意思の強弱だのの線引きはできぬままではあるものの、実社会では誰がなんといおうと
犯罪者は「悪人」と 相場は決まっているし、当然に罰せられなければならない。
社会のセーフティネットがあれば、彼らは救われたかもしれないが、そういった手合いのために
セーフティネットを用意すること自体が二重の損失であると私は考えます。
ただし、セーフティネットを用意しなかったがために、健全で善良な市民の生活が脅かされる
事態になることも好ましくないため、痛し痒しで現在のような宙ぶらりんな対応がされているの
ではないでしょうか。
善悪とは一体何か。これについての絶対的指標が十分に備えられていない現代において、
司法試験の難易度も、法科大学院がどうの、予備試験の抜け道がどうのも、
なんだかバカバカしく思えて仕方がありません。
罪を裁くのは簡単ですが、人を裁くのは難関試験など児戯に等しいほどに難しいのですから。
自分の善悪の判断能力が絶対に正しいといえる人間などごく稀にしかいない。
もし、自分が必ず正しいと思うのであれば、早めに該当科を受診することをおすすめしたい。