昔からやってみたいことがあるんです。それは、著者のきもちを考えなさいという問いが出された場合、「適当に紙面を埋めて金が欲しかった」が正解になるというものです。私が書いた小説なりなんなりが試験問題になって、それの答えが出題者に創作されたのち、「いや、それは違うよ。そんなことはこれっぽっちも思っていない」といいたいのです。その試験が入試なら、なお良し。
そういういたずら心を抱えたままいい大人になりました。問われるのが著者のきもちじゃなくて、主人公のきもちでも同じです。「文字数を増やすためにどうでもいい会話や心情を述べている」が正解にしたいのです。出題されてから著者本人が作品論みたいなものを恥ずかしげもなく出して、これが公式見解だと叫びたい。
バカな大人になりました。そんなことをしてどうなるんだとも思います。でも、そういうことばっかり考えているから、私なんだとも最近思うわけで。いたずら心を忘れたら、そしてそれを寛容な心持ちで受け止められなくなったら、こんなに生きづらいものもないんじゃないかなあ、と。
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