日本は世界でも有数の格差の少ない国。かつては一億総中流といわれた国です。
そんな国だからこそ、ダメなことがある。それが、インターネットです。
世界の国々では、最下層、下層の人間はネットに触れることもできません。
情報を得る習慣、手段がないのです。当然、彼らは何かを発することもできません。
だから、行動で示すのではないか。そんな風にも思います。
日本人は、下層と呼ばれる人間でも、連絡手段として携帯電話を持ちます。
ネットインフラもそれなりに充実しています。
だからこそ、いけないのです。
日本のネットが革命を起こさないのは、誰もが情報に接し、発信できてしまうから。
どんな社会でも、一部の才能を有する者と、9割の一般人で構成されます。
この9割に迎合すると、途端にあらゆるものが破綻するのです。
たとえばその最たるものがメディアです。
テレビや新聞に出てくる学者や有識者がアホなのは当たり前の話で、
9割の方に気に入られる、望まれることを発言する人間を呼んできているわけです。
それをつかまえて、学者のすべてがバカだとするのもまた、9割の考え方なのです。
順位付けがありますから、いくら頑張っても1割に入れない人は出ます。
しかし、聡明であることは、学力や地位とは無関係です。
日本のネットは、聡明であることが駆逐される世界。
悪貨が良貨をのことわざそのままの世界です。
最近目にしたもので、「バカだといわれるネット民に支えられて生きているお前はどうなの」
というものがありました。
ある著名な方の発言に、ネットユーザーが怒りの感情をぶつけたものです。
これが根本的におかしい。
ネットを誰もが使える物にしたのは、ネットユーザーではありません。
与えられている側が、与えた側を罵倒するのです。自分の立ち位置がわかっていない。
「私はネット民に支えられて、おまんまを食っている」
ネットサービスを提供する聡明な方はそう発言するでしょう。しかし、現実は違います。
ネット民から金をまきあげるシステムを開発した天才であって、下層のネットユーザーは、
それにあらがうことも、疑問を感じることもできない存在なのです。
「食わせてやっている」という価値観、発言は、負け惜しみでしかないのですが、
どうも最近はそうでもない。
最近のネットは、才能のない人間が自己の擁護のためにあれこれと理論武装を続けた結果、
不気味な自尊心で動く怪物が生まれてしまったかのような印象を受けます。
こうなってはいけないのです。優秀な人間の足を引っ張るだけですから。
今、この一瞬は気に入らない奴を攻撃できて気分がいいかと思いますが、
長い目で見れば、才能を潰してまわることは、我々にとって大きな痛手です。
自分が努力するより、誰かの足を引っ張る方がはるかに楽なのはわかります。
しかしそれでは、自分自身は成長しません。そんな向上心の足りない集団が、
ネットの総意となって襲いかかれば、ちいさなちいさな才能の芽など吹き飛んでしまいます。
それだけはしないでいただきたい。聡明な一市民として多くの才能を育てていただきたい。
そういう風潮が生まれれば「俺さえ儲ければ」という才能を持つ人間も減ることでしょう。
社会との関わりが少なく、手前の腕一本でのし上がってしまえば、自分本位に才能を使うことも
やむなし。しかし、社会に育ててもらえれば、恩義を感じ、社会に恩を返そうと思うものです。
メディアに出てくる学者、でっぷりと肥えた政治家、頑迷な官僚、自分本位な経営者。
これらすべて、ネット以前から存在する総中流による弊害ではないかと私は思います。
他国の場合、上、中、下層の階級、情報格差がネットによって破壊され、
大きな潮流が生まれるのですが、日本の場合は元々総中流。
中流が上流階級をこき下ろし、足を引っ張って中流に引き込もうとしている。
だからこそ変革は起こらず、事態が悪化しているのではないか。
ひとりひとりの心の持ち方で、未来が形作られるわけで、今日あなたが投げつけた悪意は、
きっとどこかで作用して、誰かの才能、時間を潰します。
発信することは簡単になりましたが、その責任は軽くはなっていません。
私を含め、今一度ネット上での行い、自身の在り方を考えてみませんか。
『わたしのせれくしょん』
今回はもちろん、ネット特集。私のような下層者、無才能者でも、荒れることなく、
良心だけは持ちたい者です。清貧、いい言葉じゃァないですか。