オタク向けシェアハウス企画はなぜポシャったか
タイトルのとおりオタク向けシェアハウスってのをやろうと少し考えていた時期があるんですけど、オジャンになりました。というのは、このオタクの定義の問題といいますか、人間って難しいなあて問題があるわけで。
オタクの3分類5容態
たとえば、オタクにも色々あって、割に多いのが社会的に人付き合いができるオタク。これが1番多い。びっくりかもしれませんけど、社会と折り合って生きているオタクのほうが多数派です。上手くいってない人のほうが実は少数派で。このなかにも、とびきりすごい社交性を持っているオタクがいるわけで、そういうのがいると(悪者みたいな書き方ですが、そんなことはないですよ)、社会と折り合えないオタクたちが惨めな思いを「勝手に」して、櫛の歯が欠けるように出ていきます。
とまあ、文章にしていてもわかりにくいので、表でざっくりわけときましょうか。
- 社会と折り合いをつけられるオタク(容態1-A)
- 社会と折り合いをメチャメチャつけられるオタク(容態1-B)
- 社会と折り合いをつけられないオタク(容態2-A)
- 社会と折り合いをメチャメチャつけられないオタク(容態2-B)
- 根本的ダメ人間(容態3)
こんな感じになって、容態1-Aから人がいなくなり、次に1-Bのメチャ折り合いをつけられる奴とつけられない奴の一騎打ちがはじまります。つまりはいざこざが起こる。それが嫌で、2-Aの折り合いがつけられないオタクのなかでも症状がマシな奴から抜けていき、嫌気がさして1-Bもいなくなる。そうなると、掃き溜めの完成です。社会と折り合いをつけられない奴と根本的ダメ人間の面倒を比較的まともな奴らが見るという形で成立していたシェアハウスが、文化も共同もなにもない、スラム以下の「無気力ななにか」になります。詳しく知りませんけども、アヘンやら大麻でボロボロになった奴らの巣ってこんな感じなんだろうなって思うくらいに、ヤバい。
ヤバいの方向性が、疾患があって通院を勧めたいタイプから、おんぶに抱っこの大きな赤ちゃんタイプ、人に危害を加えるのが生きがいなタイプと多様で、みな一律に社会性を持たない。オタクのヤバさって、部屋にエロい抱き枕並べるとかそんなのかと思ったら大間違いでして、本当にヤバいのは「自分がオタクだと思い込んでる精神異常者」だって痛感した次第。絶対にやめた方がいいよというアドバイスもあって、企画としてポシャったんです。
でも、諦めないぞ!トキワ荘!!からの……
オタクのためのトキワ荘企画はその後も細々と続いているんですが、少し前進しては原点、また原点の繰り返しになっています。どうしてそうなるのかといえば、入居者の質が一定しないからなんです。漫画家見習いだけでやろうと神奈川県でちょっと企画したときも、バイトがメインになってしまう人や、描きもしないで講評ばかりの人などが続出。当たり前ですけど、描ける奴はどこでも描くし、さっさとデビューしちゃうんですよね。そうなると、やっぱり自然と先のような吹き溜まりとしての収容施設になっちゃうんです。
あと、ゲームのプロ集団をどうのこうのでやろう!という企画もありました。ありましたというか、あります。でも、これも難しい。ゲームってどんどん新しいのが出てきて、それに対応していかなくてはならないのと、上手い奴と下手な奴(世間的には超上手いけど)はどうやっても出てくるので、必ずそのシェアハウス内でイザコザが起こるんです。世界最高の対戦相手が居並ぶ組織になっても、多分人間は環境より心情を優先してシェアハウスを出て行くと思うんですよね。まあ、そもそもゲームって遊ぶ楽しさを提供するのに、楽しくないような方向へプロ化すべきなのかって話もありますしね。究極を目指すなら、AIにやらせりゃええやんとも思いますし。
自分にとって趣味とはなんぞやっていう
オタクのために!オタクのため!!と心血注いでいた時期もありましたが、オタクってのは自分のことを大切にして趣味に生きようというのに、始終ワイワイガヤガヤはないよなってところに落ち着くようになったんです。私のスタンスでオタク趣味を続けようと思ったら、内省の時間が必要だってことです。小難しい話になっちゃいますが。例えば小説なりを書くなら執筆に必要なのはひとりの時間なり、人に会うにしたって感性を与えてくれる人であって、それはいままでの経験を文字にするための静かな時間とか自分の知らないことを教えてくれる人なんですよね。それって、シェアハウスを成立させようとすると、絶対得られないものでしょう?
シェアハウスの喧騒は論外だってのはもちろんなんですけど、同じところに住んで、シェアハウスを良好に運営するために同じような考えを持った家族のような存在で寄せ集まってしまったら、新しい感性なんて出てこない。マンパワーは生まれても、作品や才能は出てこないじゃないですか。同じものを見て、同じリズムで生きているんじゃダメなんですよね。トキワ荘はその点、個々がバケモノかつ、漫画やアニメを一本立ちさせるというマンパワーが必要だったから成立したのかもしれません。オタクだというだけで寄り集まるのは、なにも成し遂げることがないのでマンパワーは要りません。ということは、必ず失敗するってことですよね。
解決策はあると思うんですよ。でもそれには、やっぱり人材の均質化が必要で、そんなことしたら集まっている意味がほとんどなくなっちゃって。1700万円で築40年、2階建ての長屋を買う寸前だったんですけどね。やめてよかったのかどうか。いまでもちょっと悩みます。この手の話題で5年以上成立している成功例ってどれくらいあるんでしょうね。
この記事へのコメントはありません。