団塊は資源。たしかにそういった側面はあるでしょう。時代を牽引してきたのですから。しかしそれは、一部の能力者、技術者のみではないのか?時代を牽引するだけならば、誰でも出来るはず。今の若者だって同じ時代に生きれば同じように時代を紡いだのかも知れないではないですか。
一部の団塊は資源であり、国の宝です。しかし、その一部分だけ(国の宝である一部の団塊)をクローズアップして、団塊全てが資源であり宝だ。というのはどうなんでしょうか?論点をずらして摩り替えていませんか?そんな一元論は時代錯誤もはなはだしいですよ。
資源という言葉に固執しているようなので、それを用いて皮肉を言わせていただくならば、
資源というのは消費されるか、加工されて無くなってしまいます。もう団塊は使い終わったんです。企業戦士としての資源の乱用の時代は終わりを告げ、これからの時代は少ない資源(若者)をいかに有効に使うかのエコロジーの時代。そして、資源ナショナリズムの時代(自分の価値を最大限に活かす仕事選びが許された時代)なのです。
人間散り際だと思います。潮時を感じられない人間、それは今で言うところの空気を読めない人間。大半がそんな人間だからこそ今の社会。
いつまでも退場せず、旧態依然とした腐臭を放つのはやめていただきたい。
>あとの人々は半ばあきれながらも楽しそうに彼らの背を追いかけていく
何よりも追いかけたくないですね。今や企業戦士気取ってたらリストラの対象ですからね。お前みたいな奴は替えが効くから。とか言われて。だからこそ若者は個性などというものに追い回されている感があるんですが。
学校や企業などからは個性を求められ、年寄りからは個性尊重主義に生きるな。と諌められる。これは現代の若者の苦悩ですよね。
ちなみにこれは新聞の一面広告でした。一面でやることなんでしょうかね?まあ、広告料が入れば何でもしちゃうんでしょうが。